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2015年12月

喜びの声

いつ頃か膝にコブが出来、だんだんと大きくなり済度して頂いた時、悪いものではないから心配はしなくても良いとの事でした。しかし、あまり周りの人達が心配するので病院に行き診察してもらいました。病院の先生は切開して悪いものを取り出した方が良いとの事でした。ほおっておいたら足を切断しないといけないかもしれないと言われました。御教祖様に悪いものではないと言われたことを思い出し、断って家に帰りました。それから何日かして買い物に行く途中、なんでもない所で転んで膝を強く打ち、大きく腫れビックリ して御聖水をつけて、夜に済度をして頂き痛みを取って頂き、二週間位で腫れが取れました。それと同時にコブも一緒に取れていました。ビックリしたのと嬉しさと感謝の気持ちで一杯でした。御教祖様にこの事をお知らせ申し上げた所、大変お喜びになりちょっと痛い目にあって、良くなることがあると言われました。これこそ神業です。御教祖様は凄いお力を御持ちです。感謝申し上げます。又、一晩で両足が痛んで朝立つことが出来なくなったことがありました。私はこれでもう起き上がることが出来なくなるのではと心配しました。この時も済度して頂き元気にして頂きました。感謝申し上げます。私の足をご自分の膝の上にのせて済度して頂く時、申し訳なく思い胸がいっぱいになりました。感謝申し上げます。体調はどうか、叱咤激励して下さり、事細かく足の動きなど教えて頂き 本当にありがとうございました。こんなに優しい御教祖様は世界一の御教祖様です。 宜しくお願いします。

2015年10月

喜びの声

今回の講習会は御本尊様が初めてお立ちになられました。
偉大なる神佛混合神様を常に意識する事が出来るように、脳裏に刻み込むために水行を毎日させて頂きました。 その中で願いを一つかけさせて頂き、私は人にやさしくなれますようにと願いました。
と言うことは、やさしくなかった。
今まで冷たかった。人を大事に思っていなかった。人に気を使わせていた。神佛混合神様、御教祖様、周りの人々に甘えていました。意地悪をするぞ。するぞと言う事ではないけど、言葉で人を切り、嫌な態度そして意地悪をしてきました。そして自分勝手に地獄に落ちていっていました。こんな自分勝手で、我がままで、横着で、人一倍甘えの強い私を地獄の底から救い出し、天上人の位まで与えて下さいました。 神佛混合神様、御教祖様がいらっしゃらなかったら、私は一生、自分の悪いところに何一つ気付く事なく、また気付こうともせず、自分は何も悪くない、あの人が悪いんだからと人のせいばかりにしてこの世を終えていたと思います。
自分を素直に見つめ、自分の嫌なところを認めきる事が出来る法ノ宮の講習会は本当にすごいものです。100%何かが確実に変わる。それは神佛混合神様、御教祖様がいらっしゃるから出来る事です。御教祖様がやさしく、厳しく話して下さるから私達は理解できます。御教祖様の真の御姿を見せて頂ける講習会ほど尊いものはありません。これからは意地悪をせず、人と仲良くし法ノ宮の話をしていきます。

2015年4月

喜びの声

私は薬学部に6年間通わせて頂き、この3月に国家試験を受け、合格を頂きました。
正直に言いますと、私は156人中120番くらいの成績でした。国家試験の卒業試験があり、卒業できたのは126人でした。
そして、国家試験に合格したのは126人のうち109人です。
合格より先に卒業さえ危うく、本当に際どい成績にも関わらず卒業させて頂き、合格も頂きました。
自己採点をするとほとんどの人がいつもの模試よりも点数が20点も下がる様な試内容だったのですが、私は今までで自己最高点をとることができました。
私より成績が遥かに良かった人が落ちました。信じられないことだらけの試験でした。
最近解説書が出たのでやり直しをしてみましたが、より一層、よく合格出来たと思います。
この合格の裏にはご住職は毎日千願行をしてくださり、会長は毎朝お寺にお願いしてくださっていたそうです。
私自身も自分が合格したいと言う気持ち自分の為ではなく、親を喜ばせたい、家を発展繁栄させたいという気持からだったと思います。
だから神仏混合神様ご先祖様が動いてくださったのだと思います。
このような気持ちにさせてくださったのはいつも御教祖様が親を思え、家を思えと教えてくださっていたからだと思います。
死ぬほど勉強を頑張ったと言えるのは本当に最後の1ヶ月もあったかなと思います。
みんなは血尿が出たり情緒不安定になったり体調崩す人が多いなか、何事もなく試験を終えることができました。
いつもは吐き気に襲われて試験を受けるのが苦しかったのですが、終わってみて考えてみると、国家試験本番は吐き気もなく、途中で眠気に襲われることもなく二日間過ごせたと思います。
また法要に帰るたびに待ってるからと声をかけてくださり、お弁当を持たせて送り出してくれました。
神仏混合神様より頂いた合格だと思います。
これが私の2014年上半期の奇跡です。遅くなりましたがよろしくお願い申し上げます。

2015年2月

喜びの声

今回の講習会に参加できた事で私は、様々な事に気づかせて頂きました。
私は、自分がいかに親に育てて頂いているという立場を忘れ、親に感謝すべきであるという事を忘れ、子どもであるという事を理由に、親に甘え、その癖に、自分にとって都合が悪くなると口答えし、自分勝手で、わがままで、ごう慢で、横着な考え方であった事に気づかせて頂きました。
そして、日常生活においても、先ほど述べたようにわがままで横着な考えを持っていた私であったのですから、自分自身が気がついていなかっただけで、きっと私は、両親を含め周囲の方に何かと我慢をさせ、不快に思わせていたのだろうという事にも、気づかせて頂きました。
そして、その横着な考え方や態度、行動一切をとることが、自分の将来を不幸に導く原因であった事に気づかせて頂きました。私は、これから今回の講習会で気づかせて頂いた事を胸に刻み、特に親への感謝を忘れず、自分の言葉、態度、行動一切を1つ1つ改めていきたいと思います。
両親を含め周囲の方に我慢をさせていた分だけ、これから自分がそれ以上に我慢をし、周囲に気配りできる人になりたいと思います。
また、苦しくて辛くて逃げたくなるような困難な事、行き詰まる事が私に襲い掛かってきたとしても逃げず、御教祖様のように笑ってはね飛ばし「大志を抱け」と言う言葉の通り、将来幸せの道を歩んで行くことができる考え方になります。態度をとります。行動をします。と言う志を強く持ち、これからの日々を朗らかに楽しく過ごし、御教祖様の言われる事は勿論、両親の言うことを聞き、今の気持ちを持ち続けられるように、努力してまいりたいと思います。
今回の講習会に行かせてくれた両親に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。

2015年1月

喜びの声 

私は、5月の講習会に3年ぶりに参加させて頂きました。
神佛混合神様に授けて頂いた子供が今3歳と2歳で、仕事をしながらのとても忙しい毎日を送っています。
そんな中突然、主人が「たまには講習会に参加してみれば?」と言ってくれました。本当に驚きました。
そうはいっても、子供がまだまだ手がかかる事もあり、最初は断りました。
しかし、忙しい毎日の中、自分自身がイライラの心のまま生活していて良いのか、この心で子育てして良いのかという思いが生まれ、講習会への参加を決意しました。
悩んだ末の参加でしたが、講習会の初日が始まると、不思議と心がすっきりしていました。
すぐにイライラする自分、これからの毎日を絶対に変えたいと、すがる気持ちで参加し、神佛混合神様の前で「小さな事でイラッとしない」と、真剣に宣言しました。
今までの、すぐにイラッとする私の癖を流して頂き、心が本当に軽くなっている事を実感しました。
神佛混合神様は私の心を救って下さいました。講習会から二ヶ月以上が経った今、心がイライラしそうになると、御教祖様、御家族様より御教え頂いた事を書いたノートを必ず見返しています。
講習会の時の心、お救い頂いた事を思い出す事で、一日一日をまた救って頂いています。
講習会に参加して、本当に本当に良かったです。有難うございました。

2014年12月

喜びの声 

今回の講習会に参加するのは無理だろうなと勝手に諦めていました。しかし先生から妙蓮寺の建設に向けて大事な時期に一人でも多くの人に参加して頂きたいというお言葉を聞き、また自分自身も嫌なことが続き、私の心も家の中も暗く沈み、悪い流れを変える為にも心を変えたいと思い決意しました。
家族に講習会のことを話すにあたり、心の葛藤や悩むこともありましたが、今回は絶対に行かなければという気持ちで勇気を出して踏み出した結果、おはからいを頂き参加できるようになりました。
講習会では今までの自分がいかに自分中心であったかという事に気づかせて頂きました。生きていれば誰でも嫌な思いをしている。そしてまた自分自身も人に嫌な思いをさせている。そんな当たり前のことに気付かず「自分が苦しい、自分が辛い」ということばかり言ってきた自分を懺悔しました。水行ではそのような自分中心の考えを流し、新しい自分に生まれ変わらせて頂きました。自分の固く閉ざしていた心が少しずつ解けていき、光が入ってくるようでした。「嫌な事は自分を高めるチャンスだ、嫌な時ほど笑いなさい」御教祖様の御言葉一つ一つが私の心を開放して下さり、沢山笑って沢山の涙が出ました。温かな光の中に包み込まれているような講習会でした。
そして講習会から一週間後に大奇跡を頂きました。次男は卵・牛乳アレルギーで、全身が腫れ呼吸困難を起こす程ひどい状態で、いつまで生きられるのかと常に不安に思い苦しんできました。
法ノ宮に御縁を頂いてからは、卵が食べられるようになり少しずつ良くなっていましたが、今回病院で無事に牛乳を飲むことができたのです。薬を飲み、定期的に通院もしていましたが、それも必要ないと言われ、その展開のすごさに驚きました。成長により徐々に良くなっていくこともあると思いますが、この早さは神業としか思えません。子供のひどい症状を目の前で見て、いろんな事を試しても良くならず悩んできたからこそ、この凄さが本当によくわかります。小学校に上がっても皆と同じ給食は食べられないだろうと思っていましたが、次男は来年入学ですのでこのタイミングで牛乳が飲めるようになったことも本当に有難いことです。本当ならば不安を抱えながら生きていかなければならなかった人生を神佛混合神様・御教祖様の御力によって変えて頂きました。目に見えないものを信じるのは難しいことです。踏み出すことはとても勇気のいる事で恐怖や迷いもありました。しかし選択を間違えていればこの奇跡はなくもっと遠回りしていたかもしれません。理屈ではなく、素直に実行していく事の大切さを学ばせて頂きました。
この事を忘れずに法ノ宮を信じ教えを実践して参ります。ありがとうございました。

2014年10月

喜びの声 

今まで私は自分のことばかり考え、優先し、親に反発して喧嘩ばかりの毎日でした。
そのせいで、家族もバラバラでした。
世の中をなんとなめており、軽々しく生きてきたのか、神佛混合神様、御教祖様を裏切ってばかりだったのかと、反省の心で涙がとまりませんでした。
この時、私は初めて逃げずに自分と向き合う事が出来ました。
私は「感情を表に出しやすく、イライラした時はすぐに他人にぶつけてしまう」クセがありました。
仕事から疲れて帰ってきた母にその感情をぶつけ、「うるさい」と汚い言葉をはいたり、無視をしたことがあります。
母はそんな私を見ても優しく受け止めてくれ、背中を押して前に進ませてくれていました。
なんと母はすごいのだろう、本当は私から汚い言葉を言われ、腹 立たしく、悲しい気持ちになっていただろうに、今まで私は一生懸命家族を支えるために頑張っていた母を苦しめていたのかと反省の気持ちでいっぱいになり、涙が止まりませんでした。
そして、こんな私を産んでくれて、今まで育ててくれて「ありがとう」と本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
この悪いクセをなおすためには、笑顔が大切だと教わりました。
ですが、なかなか笑えません。
そんな中、母はとても素敵な笑顔ができていました。
御住職方から「苦労した人こそ笑顔ができる」と御言葉を頂き、母はたくさん苦労をしてきた、させてきたのかと知り、これからは私も母を支えられる娘にならなければと思いました。
そう覚悟を決め、神佛混合神様、御教祖様に「私はこれから何があっても笑顔でいる」と誓う事で、自然と笑顔ができるようになりました。
今でも職場や家では嫌な事がありますが、汚い言葉はださないようにし、笑顔を続けています。
すると自然と周りも以前と違い、雰囲気が優しくなったと感じ、仕事にやりがいを感じています。

2014年 9月

喜びの声 

私は、法ノ宮の福女とならせて頂いた事をとてもうれしく感じており、とても感謝しています。
私は今までずっとお金に執着し、たくさんのお金がなければ幸せになれないという考えを持っており、去年の暮れに悲しい事がありました。
その悲しい事で落ち込んでいた時、神佛混合神様、御教祖様に癒していただき、法ノ宮の方々の優しさをしみじみと感じながらも、お金への執着が消えませんでした。
お金への執着が消えないまま、大鐘を寄付すればお金が手に入るという下心をもって今年の1月、佛龍寺に大鐘を寄付させていただきました。
その時御住職に「あなたの欲しいものが手に入る。それが何なのかは分からないけれど、あなたが本当に望むものを神佛混合神様は与えてくださる。」と言われました。
それ以来、私の欲しいものはお金だけれども、本当に私が望むものは何なのだろうか、いつも幸せになりたいと願っているけれど何が幸せなのだろうかと分からなくなっていました。
そして2月、くじ引きで大当たりを引き、福女とさせていただいた時はすごく驚きました。
その瞬間から、今年はどんな年になるのだろうか、どんな幸福が訪れるのだろうかと、私の心は希望でいっぱいになりました。
また、徐々にお金に執着する心が薄れていき、幸せとは何なのか考えるようになりました。人の優しさを感じられることや、人の喜ぶ顔を見ることも幸せなことなのだと感じられるようになりました。
総本山法要で福女として豆まきのお仕事をさせていただいた時、皆様の幸せそうな笑顔を見て何とも言えないとても幸せな気持ちになりました。
また、その時の写真には、御先祖様の魂が写っていたことから、神佛混合神様が喜ばれ、御先祖様が喜ばれているのだと分かりました。
神佛混合神様、御先祖様がお喜びになられる行事のお仕事をさせて頂けるということは、運と徳を頂き幸福の道を歩めるということだと確信しました。
法ノ宮の福女にならせて頂いたことはとても光栄なことです。これから福女として、法ノ宮のことを人に話し、神佛混合神様の教えを広めていきます。
また、福女の私が幸せになることで神佛混合神様の偉大さを証明していきたいと思います。

2014年 8月

喜びの声 

私が法ノ宮に御縁を頂いたきっかけは、子供がもう一人欲しかったからです。
その頃の私は男の子一人を抱えて、家業の店と両親との同居で義父とはそりが合わず心の中はギスギスしていました。
人の言う事は聞かず、感情のままの育児、悪いことがあると人のせいにして、自分を振り返ることなど全くしておりませんでした。
主人から今のままで子供が出来るわけがないと言われ落ち込んでいました。
今振り返れば、思いやりもなく、嫌な事から逃げてばかりで、文句も多く大口ばかりたたいていた私が家族を不幸にしていたのです。
軽くお参りする中にも、義兄の孤独死と悪いことが続き、両親は長男の死を受け入れる事が出来ず、暗い毎日でした。
時間が過ぎていくのをただ待つだけでした。次第に真剣に お参りしてすがろうと思うようになり、行をしていくうちに、店の移転、そして第二子の出産と奇跡を頂き、家の中に明るい出来事が続きました。
その時私は三十九歳でしたが、済度を受けさせて頂きながら無事に男の子を出産させて頂きました。
子供の誕生により、両親も笑顔が増え、生きる励みになったのか、ゲートボールにも又通うようになり、九十歳手前に試合に出るようになりました。
義父は糖尿病の悪化で体調を崩し、お酒を飲むことだけで悲しみから逃げようとしていたのですが、御教祖様より「御先祖様にお酒を飲んでもらいなさい」と御指示頂き、仏壇にお酒を供え父親を救ってくださいとお願いし始めて数日で酒量は減り、文句も言わなくなりました。
それから今に至るまで数値も安定し続け、ゲートボール・野菜作りと 体を動かすことに精を出しております。
その後、お参りすればよいという甘えで、教えも聞かず勝手な考えで行動したあげく、十六年間続けていた店を閉店し大借金を抱え先の見えない日々でしたが、御教祖様より「動きながら解決させてください」と御指示頂き、毎日泣きながら言うことを聞かなかった事を必死に懺悔いたしました。
お陰様で、両親の心を動かして頂き両親の援助を受け借金も半分になりました。私達は最大の親不孝をしてしまいましたが、神佛混合神様のお守りにおいて両親も共に健康を頂いています。私達夫婦も厳しい就職状況の中、御教祖様の言われた通り、飲食関係の仕事に就くことができました。
そのような苦労の中で念願であった女の子を授かりその娘も四歳となり両親も九十二歳に なりました。
大病することなく、大難を小難、小難を無難にして頂きながら家族七人生かされております。
私が親を無視し、自分の意のままに生きた事が不幸の始まりでした。
今は両親を尊重し、粗末に扱うことなく感謝して生活することが子供への教育にもつながると思っています。
感謝の心を忘れず、責任の果たせる人間となり、神佛混合神様・御教祖様の偉大さを必ず伝えてまいります。

2014年 7月

喜びの声 

十五年前より、ご先祖から受継いだ農業で主に米を作ってきました。
今年も同じ作付けの種まき・育苗・植付けと行いましたが、大変な事態が起こりました。
法ノ宮に御縁を頂いて以来、御教祖様のご指導を賜わり、箱苗の植付けの時は必ずご聖水をまいていたのですが、妻の指摘にも耳を傾けず、ご聖水をまかず、いつもの繰り返しだからと横着な考えで作業を終了しました。
そして植付けから一週間、次々に苗が腐っていきました。
あらゆる事をしても一反二反と駄目になり、私は焦るばかりで肥料店や薬剤メーカーの責任だと他人を責めました。
ご先祖や父には申し訳ない気持ちになり、墓に行き一人で泣きました。
後になってから、御教祖様にお尋ねして頂き、失敗の原因を御教え頂きました。
原因は 、私のわがまま・横着な考え、家族の言葉・人様の言葉を聞かず我が道を通し、夫婦が争い、娘が手伝うという言葉さえも聞かなかった結果でした。
その御言葉を聞き、それほど横着で自分勝手であったのかと深く反省し懺悔し、それからまた、御教祖様に御指導賜わり、妻と共に全ての水田をご聖水で御祓いしました。
すると、無くなりつつあった苗が次々と伸びていき、近所の人も、この奇跡に大変驚いていました。
その結果、また大奇跡を頂き、この十五年間を大きく大きく上まわる収穫量と売上金額になり、検査米もなんと一等級を頂きました。それから、今まで御礼として収穫した新米を奉納してきましたが、御教祖様より更に大切な御教えを賜わりました。「神佛混合神様への御礼も大事、しかしもっと 大事なのは、来年もまた、良い田畑であるように、良い作物が出来るように、今から始めておく事が大きく違ってくる。収穫の済んだ田んぼに、酒・米・ご聖水をまいて、天地の神々様、御先祖様に感謝する事」と御教え頂き、早速実践致しました。
本当に、神佛混合神様、御教祖様は凄いです!偉大です!大豊作を与えて頂き有難うございました。
これからは常に家族との和合を考え、家族の助けを素直に受入れ、御教えの通り、全てへの感謝の心で精進いたします。

2014年 6月

喜びの声 

3ヶ月前、胃癌の告知を受け自分の耳を疑いました。
転移性の癌で「手術は早い方が良いから」と言われ、「まさか私が胃癌?法ノ宮にもお参りをしているし何で?」と高をくくっていました。
内視鏡の写真を見せられ、まさに私の胃なのです。他人事ではないのです。一瞬震えました。
家には帰れず、まず法ノ宮熊本本部に行き、先生に相談しました。
すぐさま、連絡を取って頂き、一旦医者に任せたら病院の指示に従うしかない。早い方が良い。と、4日後に入院する事になりました。
法信先生が、あなたを救うために法ノ宮ができる事は全て受けてから入院してほしいと言って下さり、入院前日には総本山の法要にも主人と2人でお参りをさせて頂きました。
「どうぞ私の命を救ってください。」と形振り構わず必死の思いでした。有り難い事に、済度・謁見をさせて頂きました。
それは、それは,凄まじい済度でした。
すぐさま胃の痛みも、薄らいでいきました。
原因は、私達夫婦の問題。子育ても終えホッとし、あまりにも好き勝手になり過ぎ、相手の事を思ったり、見てなかった2人の責任があると教えて頂きました。
特に私は主人の働きのお陰で何不自由無い生活が出来、商売をしながらも嫌な事は何事も主人が盾になり、守ってもらっていますのに感謝も無く、本当にわがままでした。
8年間も、神仏混合神様・御教祖様の教えを受けていながら、何をしていたのだろう。ただ、表面だけの繕いで、心の心底は何も変える事が出来ていなかった事を知りました。
神仏混合神様・御教祖様に対して,申し訳ない 気持ちでいっぱいでした。
これまで多くの奇跡を頂いていながら、それが慣れっこになってしまい、何事も無く暮らせる事が当たり前と横着になってしまい、心からの感謝の気持ちを失っていました。
総本山で、神仏混合神様に身も心も預けて帰りました。この世に生を受け、52年、私にとりまして初めての大試練でしたが法ノ宮に御縁を頂いていた事を本当に心底有り難く思います。
家族が心を一つにし、法ノ宮の偉大さを再認識する事ができました。
また、家族の大切さも教えて頂きました。もし、御縁が無かったら、私の人生は終わっていたのですから・・・・・。
神仏混合神様・御教祖様、お救いください・お助けくださいと、心の心底から信じ、必死にお縋りしました。
お陰様で、手術前の恐怖、手術後の痛み・苦しみ・不安も無く、常に南無一切法蓮教を唱えさせて頂き、この命を救って頂きました。
何の不安も、心配も無く、手術後の食事も全部食べる事が出来ました。退院も予定より、2ヶ月も早く自宅に帰る事ができました。
普通でしたら病気の再発、抗がん剤の副作用、あらゆる苦しみと不安を抱えながら生きていかなければならないのに、私にはそれが何一つ有りません。
それどころか、夢・希望を与えて下さいます。神仏混合神様・御教祖様に与えて頂いた命を、神仏混合神様・御教祖様の為に使います。
また、人のお役に立てる人間にさせて頂きます様に、精進して参ります。
本当に有難うございました。心より、感謝申し上げます。
今回、神仏混合神様・御教祖様・御家族様・先生方・信徒の皆様に ご心配・ご迷惑をお掛け致しまして、申し訳ございませんでした。
命を救って頂き、元気な体にして頂き、有難うございました。

2014年 4月

喜びの声 

まだ五歳と三歳だった子供たちは、中一と小五になりました。
亡くなった主人の供養をしてもらおうと法ノ宮に来て八年が経ち供養と子供たちの将来の為、行をしていくだけでいいとずっと思っていました。
去年の秋、ある人を法ノ宮に縁をさして頂きまして、その様子が見る見るうちに変わっていきました。
そして自分も何かちがう、このままではいけない、変わらなければずっと一緒、変わりたい幸せになりたいと思い講習会に行くことを決めました。
でも、家の手伝いもしない子供達、大丈夫だろうか、炊事、洗濯、娘は部活の試合で朝も早い、考えればきりがありませんでしたが大丈夫、守ってくださると信じて北九州に行きました。
久しぶりに見た本山は何かとても懐かしい感じがしました。講習会で御教祖様が神仏混合神様になられた時、あの世の主人も救って下さる。
この世の私たちも救って下さる。
幸せになれると思いました。
まだまだこれからですが、いろんなことがやってきます。でも逃げ出さず必ずお伺いしていこう将来の子供達の幸せを願って親の私もこの法ノ宮で頑張っていこうと思います。

2014年 3月

喜びの声 

私は神仏混合神様に、鹿児島県警察官合格という大奇跡をいただきました。
私が最初、善行山御住職にご相談し、御教祖様にお伺いを立てて頂いた時に、
「若者が夢と希望を持って物事に望む事を、止めはしない。しかし、この事を成功させるには並大抵の努力では不可能。かなり厳しい道だぞ。それでも、お前はやるのか?」
と厳しく言われました。
私は自分の中で、迷いました。
自分勝手で甘えの強い自分、きつい事から逃げ出してしまわないかという不安。
しかも、自分の嫌いな勉強。 色々な不安がありましたが、
「やるんだったら今しかない、やらずに後悔をしたくない。今までの自分を変える。」
という思いで、去年の六月に会社を退職。
同時に行入りをし、夜間の公務員予備校に通いました。
工業高校出身で、五教科はまったくといっていいほど勉強をせず、三年半のブランク、最初は、講師が何を言っているのか訳が分かりませんでした。
私は神仏混合神様に「どうか、私に知恵と知識をお与えください。そして今の授業がもっと分かりやすくなりますように。」と御願いしました。
そうすると、主任講師が過去の問題を中心とした授業に変更してくれたのです。
しかも、戸惑っている私に、分かりやすく教えてくれました。
法ノ宮では、なるべく御住職の説法を聞き逃さないようにし、勉強会・法要は必ず参加するようにしました。
自分のできる限りの行も水行もしました。
しかし、第一希望の国分市消防本部は不合格、他にも郵政公社、刑務官、入国警備官、自衛隊とことごとく不合格でした。
九月の法要では御教祖様から「まだまだ受験生の目になっていない。勉強が足りない」と、お叱りも受けました。
しかし、その後に御教祖様から直接御済度していただきました。
その時、「よいか、ここで考えるのだぞ。」と額にお光を叩き込んでくださいました。
そして、鹿児島県警察官の一次試験で、いつもなら時間が足りなくて焦ってしまうのに、一時間以上も余裕を持って試験を終える事ができました。
そして、驚きの一次試験通過。二次試験を受ける前には特別に謁見をさせていただき、面接・作文試験に向け御指導頂きました。
面接試験の時に私は驚きました。御教祖様から教えて頂いた言葉で、受け答えをしていると、面接官の方々が、感心され私の言葉に耳を傾けてくれたのです。
しかも他の受験生が三十分以上かかる面接が、なんと二十分足らずで終わったのです。
その時に御教祖様はなんて的確なアドバイスができるんだろうと、心の底から感謝させて頂きました。
そして、十一月二十六日に最終合格通知を頂くことができました。
私は、自分一人の力、行で成功したとは思っていません。
色々な人に助けて頂き、支えて頂きました。
特に父と母には感謝しています。
母の「私とお父さんが働いているから大丈夫、心配しないでいいよ」この一言がなければ今はないでしょう。
父は何も言わず黙々と働いてくれました。一緒に行もしてくれました。
言葉にでは言い切れないくらいです。
夢や目標を持っている方に私は言いたい。
神仏混合神様、法主様は、自ら願い、全力で取り組んだならば、必ず願いを叶えて下さいます 。
ですから、決して諦めないで下さい。
こんなにも偉大な方がおられるのです。
救ってくれるのは法ノ宮以外にありません。
私は警察官になっても法ノ宮から離れる事無く教えを実行して行こうと思います。

2014年 1月

喜びの声 

私が法ノ宮に御縁を頂いて、まだ一年3カ月でございます。
家族のため、自分のため、幸せになるために、ただただお参りをさせて頂いておりました。
そんな中、昨年の8月長男が夏休みを終了したところへ、突然の脳腫瘍という大病でそのまま入院してしまいました。その息子がこんなにも元気で何の後遺症も無く退院する事が出来ました。
この法ノ宮に御縁を頂いて本当に救われました。神仏混合神様、法主様本当にありがとうございました。
親にとって子供の命が危険にさらされるという事ほど苦しい事は有りません。なぜ、どうして、こんなになるまでに、なぜ気付いてあげられなかったのだろう。土曜日、日曜日、忙しくしている私を見て、体調が悪いなどと、とても口に出して言えなかったのだろう か。私がこの子を苦しめてきたのだろうか。言えなくしてきたのだろうか。家族のため親のためにどんなに体が辛くても一生懸命頑張ってきたのに、なのにどうして、自分を責めることしか思いつきませんでした。しかしながら、自分を責め泣いてばかりいる時間はありません。
腫瘍は刻一刻と成長し、子供の命を縮めようとしています。私達は泣く事は一日だけにしました。一晩だけと決めました。そして残った家族4人でこれまで長男に頼りきっていた事などを詫びながら大声で泣きました。よし神仏混合神様、法主様にお尋ねさせて頂こう、許可を頂けるまでお願いしよう。
絶対に子供の命を救いたい。すばらしい人生を送らせてあげたい。そうゆう思いで法善先生に連絡をさせて頂きました。
そして熊本本部 で勉強会があるから法主様に謁見させて頂きなさい。と言われ法主様に謁見させて頂いたのです。
そして未熟な私達夫婦に子供の命を救う方法を詳しく諭して下さいました。
神となり私達夫婦におすがりをさせて下さいました。大きく轟く声で救ったぞと言われました。我が子の救われる実感をその時、身にしみて震える思いで聞きました。
神仏混合神様、法主様の教えがなければ、私達は自分達で作り出した子供の命でさえ救う事もできずに、ただただマイナスの人生を送っていた事でしょう。
でも私達には、神仏混合神様、法主様が耳を傾けて下さり、教えを説いて下さったのです。そして息子の病気は病院の先生方も驚かれ、信じられないほど順調、また確実に消えていったのです。
治療にあたり最悪の場合の 書類にも何枚とサインをしました。
不安になりながらも私達には神仏混合神様、法主様が着いていて下さる。絶対に息子の命は救う。
絶対に、絶対に救ってみせる最悪の場合はこの命を差し出す、そういう覚悟は出来ておりました。そういう思いで真冬の水行にも必ず救う、お許しください。お許しくださいと有り難く水をかぶる事が出来ました。
するとなんとすばらしい事でしょうか。こんなにも未熟な私達に神仏混合神様、法主様は奇跡をくださいました。治療も進める事のできない患者さんが多い中、何の異常もなく輸血をする事もなくその上治療期間も短縮され全くの健康状態で退院する事が出来たのです。
6ヶ月にもおよぶ辛い治療の後退院翌日より学校にも顔を出すほどです。こんなにも信じられない程の奇跡を下さるのは、神仏混合神様 、法主様、ここ法ノ宮しかありません。本当に、本当にありがとうございました。
これからは神仏混合神様、法主様に救って頂いたこの命を大切に今度は自分が神仏混合神様のお役に立てるようにこの命を大切にして、今後は健康である事に喜び感謝し、優しい人間になれるように近づけるようにお参りをさせて頂き、生きてゆきたいと思っております。神仏混合神様、法主様心からありがとうございました。

2013年 12月

喜びの声 

法ノ宮に御縁を頂いていなかった十年前、すべてに頼りきっていた主人を急病で失い、それからというもの毎日が寂しく、心細く人から馬鹿にされまいと虚勢を張って不安と世間との戦いでした。
そんな私が神仏混合神様、御教祖様に出会った時から、少しずつ変わり始めたのです。
すぐには人というものを受け入れない、信用しない心との戦いにより、突然の事故や怪我の多い体験をしてまいりました。
しかし法ノ宮は心も身体も救って下さったのです。
信じる心のなかった私です。
でも信じよう、信じたいと念じながら、ただただ総本山、行橋支部に毎日詣り続けました。
努力すること、我慢すること、そして愛する心、思いやる心、許す心、尽くすこと、その大切さを一つずつ教えて頂き、そのおかげで 不安のない毎日と先の心配をしない、そして夢と希望さえ抱ける忙しく充実した人生を与えていただきました。
もっともっと神仏を信じる私になります。
神仏混合神様、御教祖様、御家族様の愛の深さを心より感じています。
感謝のしきれない程の奇跡とおかげを頂いてまいりました。
今日私が元気で生きてゆけるのは、ひとえに神仏混合神様、法主様、御家族様の教えのおかげです。

2013年 10月

喜びの声 

私はこの度、子供の教育について改めて考えさせて頂くきっかけを頂きました。
小学3年生になる息子がお友達と持ち物の交換をしてトラブルが起こったり、休み時間に遊んでいて起こった事などでトラブルがあり一方的に悪いように言われた事が何度かあり先生からの呼び出しで学校に行ったり学校のお友達の親が家に怒鳴り込んできたりということがありました。
その度に私は何度も子供と話をしました。
息子と話をしている時に息子の話が本当の事だろうかと疑う心がでてきました。
そしてこのような問題がどうしたら解決できるのかを徳宝山御住職に相談しました。
御住職から子供の遊びでトラブルが起きた時はお互いに悪い所がありどちらかが一方的に悪いとは考えにくいと教えて頂きました。
ここでなぜ、一方的に悪いような話になるかというと子供が親に話をする時に自分に都合が悪く、親から怒られると思うと自分の都合のいいように話をするからだと教えて頂きまし た。
徳宝山御住職から教えて頂き学ばせて頂いた事は
@子供が良いことも悪いことも素直に話せるような親子関係を作っておくこと
A子供の事を信じてあげること
B親子で決め事を作って決めた事を守るという事です。
私は息子が友達とトラブルがあった翌日から21日間の水行に入らせて頂き、『息子が学校で嫌な思いをしませんように。 息子の学校生活が順調にいきますように。』と、一生懸命に水行と千願行をさせて頂きました。
そして御住職からいつも『あなたのバックには偉大なる神佛混合神様・御教祖様がついているから恐れず安心して何事にも対応していきなさい。』とお声をかけて頂いていました。
それまで色々な事を考え不安で怯えていた私の心はとても楽になりました。水行と千願行を始 めさせて頂き私の心が落ち着いてからは息子の学校生活でもトラブルがなくなり学校生活が順調に行き、息子も学校生活を楽しんで過ごせるようになりました。
これもすべて偉大なる神佛混合神様・御教祖様のお陰です。
目には見えない御力で動いて下さり私たち親子の心も救って頂きました。そして何より何事もなく息子の学校生活が順調に行っていれば息子のことで悩んだり教育をどのようにしていけばいいかなどを考える事がなかった私に考える時を与えて下さいました。
本当に有難いことです。何事も素直に受け止め、感情的にならず冷静に対応していかなければいけないと教えて頂きました。
子供を教育していくのに、絶対に大丈夫というような保証されたマニュアルはありません。教育について悩んだ時 に確実に解決する方法を教えて頂けるところは法ノ宮しかありません。
今回、このように息子の教育について学ばせて頂く機会を与えて頂き本当にありがとうございました。
今回、学ばせて頂いた事を活かせるように神佛混合神様・御教祖様の手足となり動いていきたいと思います。
何事も嫌な事から目をそらさず逃げずに学んでいきたいと思います。本当にありがとうございました。

2013年 09月

喜びの声 

私は6年前母親に連れられ初めて法ノ宮に来ました。
それからは月に一度の法要で済度をして頂き、ここまで病気をすることなく健康に生活させて頂きました。
私はいつも親に甘え、世間をなめ、人と衝突し合い、自由勝手に嫌な事から逃げ、そのような事を繰り返し会社に行くのも嫌になり、全てが嫌になり「こんな人生なら死んだほうがましだ」と思うようになりました。
悪い事は重なり、今年の6月に祖父が末期の肺癌に侵されていることがわかり、余命半年と宣告されました。
母子家庭で、私の父親がわりである祖父を死なせるわけにはいかない、どうにかして助けたい、そう思っていると御教祖様より千願行と水行をかけて頂き、毎日母と兄と私の三人で行をさせて頂くことになりました。
それか らというもの祖父は癌にも関わらず食事も普通に摂り、体重も増加し、抗癌剤治療ができるようになり、その副作用にも悩まされることなく、治療後の定期検査では治療前はあったはずのレントゲンの癌の影が一つ消えていたのです。
その頃、講習会に誘われ行く事を決心しました。
講習会に初めて参加させて頂いて、今まで自分がしてきた悪事や甘え、自分の考えを懺悔させて頂きました。
講習会一日目の夜は、今までどんなに疲れていてもぐっすり眠る事のできなかった私がぐっすり眠る事ができました。
講習会から帰ってからの生活はやる気が起こり、これからの人生が明るくなったように思えます。
神佛混合神様、御教祖様には感謝してもし尽くせませんが、今までの御無礼を常に懺悔し、神佛混合神様、御教祖様を常に意識して行動します。
このような講習会に参加させて頂き本当にありがとうございました。

2013年 08月

喜びの声 

十五年前に心筋梗塞をおこし、お詣り一つで命をとりとめて頂きました。
それ以降、御教祖様より御指示を頂きながら体調を崩すことなく生活させて頂いておりましたが、二年前の冬頃に御教祖様より、「体が気になるから毎月済度を受けなさい」とのお言葉を賜りました。

本人にあまり自覚症状はなく、定期検診に行ったところ、心臓の血管が糸のように細くなっており、「生きているのが不思議だ」と医師に診断されました。しかし、おかげ様で大きな手術をすることなく毎月の法要・済度・日々頂く御聖水のみで命を頂いております。

偉大なる神佛混合神様・御教祖様によって執り行って頂く法要は、命を賜る最高の場であるとご自身も実感され、高齢ではありますが、今では佐賀より毎月一人で電車を乗り継いで来られ法要に参加することで、健康で家族の為に働ける身体にして頂けることを大変感謝されております。
これから先も神佛混合神様・御教祖様の御守りの中で元気にお 過ごし頂きたいと思います。

2013年 07月

喜びの声 

私の法ノ宮にご縁がある前の生活は本当に醜いものでした。毎日毎日自分の死を考え、不眠が続き一睡もしない日が多々ありました。そんな状態で仕事など出来るはずもなく、看護師をしていましたが退職し眠剤と安定剤に依存した生活を送り、子供が三人いるにも関わらず家事が全く出来ない状態でした。
ある時、突然痙攣発作を起こし救急車で搬送されました。うつ状態に加え発作前後の記憶が全く消えてしまう解離性障害と医者から診断され、治療に何年、何十年とかかり完治は難しいとのことでした。多い時には週に二度三度と発作を起こし搬送され、その度に痙攣止めと鎮痛剤の注射を何本も打たれ私の体はもう限界でした。
使用している眠剤と安定剤は増えるばかりで、もう死んでしまいたい! 子供たちもこんな母親なら居ない方が幸せだろうと自傷行為や自殺企図を繰り返しました。
そしてある時、目が覚めると私の体はもう自力では動けない状態となっていました。強度の薬の影響で右手と左足に麻痺がでていたのです。もちろん病院にも行きましたが、病院ではリハビリをして筋力の低下を防ぐことしか出来ない、完治は無理な状態でした。装具を作り身障者手帳の申請を勧められ目の前に突きつけられた厳しい現実に愕然としました。薬に依存し手足の自由を失い私は一分一秒を生きることが苦痛でなりませんでした。そんな時に私は法ノ宮と出会ったのです。初めて足を運ばせて頂いたその日に病んでしまい全く機能していなかった私の心を揺れ動かして頂きました。何故こんな状態になってしまったのか、これからどうしたら良いのか、それらの全てを本当に詳しく分かり易く教えて下さり、空っぽだった私の心に神佛混合神様、御教祖様の御言葉はどんどんと入ってきて内側から光を注いで下さいました。
法ノ宮に通い始めわずか一ヶ月で今まであれだけ何年も依存していた薬を全く使わずに生活出来るようにして下さいました。病院の担当医も驚愕しており病院でも完治の診断をしてもらいました。そして初めて臨んだ講習会で、おすがりの儀にて必死に願い懺悔し手が届いた瞬間に動かなかった私の足に電気が走ったような感覚がありました。落ち着いてみると指先が動いたのです。その後、御教祖様の御指示を賜り、日々御神前で許しを請い足を動かし御光を入れて頂いております。そのおかげで今では軽く走れる状態にまでなりました。
またこの度無事に就職も決まり、また元の看護師として働くことが出来るようになりました。病院からも見放され、生きる術を失ってしまっていた私に新たな命を下さり、今をこうして楽しく生きさせて頂いているのも、法ノ宮、神佛混合神様・御教祖様の御力のおかげであります。
私の命ある限り少しでも多くの方に法ノ宮、神佛混合神様・御教祖様の教えの素晴らしさと賜った沢山の奇跡を伝えてまいります。

2013年 06月

喜びの声

私が法ノ宮にご縁を頂いてから二年が経ちました。
それまでの私は二人の子供のアレルギー症状に悩み苦しみ、辛い日々を過ごしていました。
卵・牛乳にアレルギーがあるので食事に対して神経質になり、またアトピーによる痒みで眠れず、イライラする事が多くなっていました。
肌は掻き毟り傷だらけで、そんな子供達を見る度に「何故うちの子がこんな事になるの?」と胸が苦しく辛い思いで生活していました。
先生に法ノ宮のことを教えて頂き、なんとかしたい一心で主人と初めてお参りに伺ったその日御住職から「御教祖様が家に三神様を頂くことで、全てを改善することをお許しいただいています」と言われました。
私達夫婦は 「子供達を良くしてあげたい。全ておまかせするしかない」という気持ちでお願いしました。
その時は三神様を賜ることの有難さも何も分かっていませんでしたが、良くなってほしいという必死の思いでした。
その後すぐ、次男のアレルギーの血液検査の結果、今まで食べられなかった卵を「この値なら大丈夫ですよ。家で徐々に進めていってください」と主治医から言われました。
二年経った今では、アレルギー検査の牛乳の値も少しずつ下がり、加工食品なら食べられるようになりました。
次男はチョコレート菓子ひとつを食べただけで全身が腫れ上がりショック状態にまでなるひどい状態だったので、クッキーを食べることができた時は本当に嬉しかったです。
次男も皆と少しでも同じものが食べられ るようになった事をとても喜んでいます。
口には出しませんでしたが、皆と同じ様に食べられなかった事がさびしかったと思います。
肌の状態が悪い時は、御住職にきって頂き御聖水をつけて頂くと、赤みがスッとなくなり同時に痒みもなくなりました。
今はとてもきれいになり、痒みで眠れないという事もなくなりました。
ずっと悩んでいた子供のアレルギーの原因が、母である私の心にあると教えていただきました。
ショックであると同時にスッと納得できました。
いつも不平不満の心で人を責めていた自分を反省し懺悔しました。心を変えるというのは難しいことですが、毎日心寂しくイライラしていたのが、妙蓮院に足を運び「南無一切法蓮経」を唱えさせていただくだけで素直な穏やかな気持ちになり、涙が出て止まりませんでした。
お参りをする習慣のなかった私ですが、神仏と交流させていただくという事は、心を変えていただく事なのだと実感しました。
その他にも数えきれないくらい沢山の奇跡と幸せを頂き、人生を明るくより良い方向へいつも導いていただいております。
本当にありがとうございます。御恩を 忘れる事なく神仏混合神様・御教祖様の御心に沿える自分になれるよう努力してまいります。

2013年 05月

喜びの声

講習会に向かう日、凄い奇跡で救って頂きました。
飛び出し気味に国道に出た時、物凄い速度で車が走って来ました。
「もう駄目だ!」
と思った瞬間、相手の車が不思議な動きでよけたのです。
三〇〇m程過ぎてようやく止り降りてきた運転手は驚いた表情で
「お宅は神か何かついてるんですか?車が何かに持上げられたような感覚がした!」
でした。その後二〇分以上隅々まで車を確認しましたが何もなく相手もようやく納得しました。
その時の講習会への参加は御住職方から「体の為、命の為に参加しなさい」と数回言われ、しぶしぶ参加を決めたのでしたが、参加していなかったら今は無い命だと思います。改めて講習会へ参加する事の大事さを感じ、神佛混合神様、御教祖様の御守りに感謝しております。

2013年 04月

喜びの声

私は大阪から八代の農家の大家族に嫁いできました。
私は次第に精神が錯乱し心はいつも寂しく、夜になると、霊が乗り移ったとわめき、主人や姑から少しでも心配してもらえる事だけが心の救いでした。
法ノ宮に来てから2年くらいは、毎日済度を受けさせて頂き、心行くまで、話を聞いて頂き、正気に戻して頂きました。
ただうす気味悪がって機嫌を取っていた家族とは違い、御教祖様は正面から私と向き合い救って下さいました
。私はやっと自分の居場所を見つけました。衝撃的な事でした。
主人は結婚してから同じ職場に5年と続かない人で、ある時、我が家では想像もつかない程の借金を抱え込んでいました。法律的な事、社会的な事、一切分からない私は、御教祖様の御指示通りに動く事しか出 来ず、それにすがれる事だけが希望でした。
着実に結果がついて来て道が開けていきました。神仏混合神様に行をさせて頂き、教えて頂いた通りに行動していき、取立ての電話がなくなり、主人の年齢にしては、多額の給料の頂けるところに就職する事ができると、お参りから逃げ、私に暴力をふるうようになりました。
私は主人の借金の為に、毎朝5時に仕事に出て、その仕事が終わると別の仕事に行き一生懸命働きました。車の免許のない私は、ただ、ひたすら自転車での移動でした。どんなにクタクタでも、仕事を辞めるわけにもいかず、その上主人の暴言と暴力、夜寝る時も、いつでも逃げられるように服を着て寝ていました。しかし、子供達の事を思うと・・・。
と思い苦しんで神仏混合神様に毎日泣きな がら訴えました。
すると主人が何ヶ月も長期出張して、家にはいない日が多くなり、安心して眠れるようになりました。こんな手があったのかとビックリするような方法で救って下さる偉大な神。私は、ただただ驚きと喜びで涙が溢れました。
しかし、何分にも大きな借金を抱えている為、大学進学は諦める事となりました。これも御教祖様のお力のおかげで、息子も反発せず、就職の道を選ぶ心に変えさせて頂きました。
不思議な事に先生が積極的に、色々と調べて下さり、私達親子は、よく分からないまま、自衛隊の幹部候補生の道を頂いており、特別国家公務員の待遇を頂く事が出来ました。息子は「お母さんが、幸福になってくれて、お金に困らないように」と言ってくれます。
そして、今、下の息子も行を させて頂いき、無事、航空自衛隊に合格させて頂きました。
八代では、ただ一人の合格者でした。
合格する為の色々な事を御教祖様より教えて頂きました。本当に有難い事です。
私は人生の考え方の間違い、わがままから、今の結果を導き出し苦労をしました。しかし、神仏混合神様・御教祖様にお会いする事が出来てから、この苦労の中にあっても、私が本当に望んだ事や、救って欲しいと思った時、その全ての願いは叶っております。
本当に救って頂けております。
人生のどん底の心の苦しみから、明るい兆しが見え、楽しい人生へと変わっていっています。
この御恩を忘れず、私に出来る事は、ただただ忠誠心を持って、この法ノ宮に尽くす事です。
神仏混合神様・御教祖様の教えを一途に全ういたします。

2013年 03月

喜びの声

私が法ノ宮に出会ったのは、先に通っていた妹に、法ノ宮の話を聞き、私もお参りしたいと思ったからです。
半年くらいたった頃、二人目の赤ちゃんを妊娠しました。まだ、法ノ宮に縁のない一人目の時は、妊娠初期から順調にはいかず、出血があったりと10ヶ月間不安に過ごしました。
赤ちゃんが小さめなので、出産は少し楽かなと思っていたのですが、まったく違いました。なかなか子宮口が開かず、15時間、激しい痛みに耐え続け苦しい出産でした。
二人目の妊娠を嬉しい反面、不安で一杯だったのです。妊娠9ヶ月の時、病院の検診で、赤ちゃんの心拍が乱れている、私の血液検査でも抗体があるので、生まれてくる赤ちゃんは、黄疸が強く出るだろうと言われました。
すぐに、神仏混合神様、 御教祖様へ、安産祈願の願を立て、その日から産まれるまで千願行を毎日一生懸命しました。
そして、予定日の前日、陣痛が始まり、病院に行きました。神仏混合神様がついていて下さると思えば、とっても安心できました。
そして、2時間たった頃、先生から「もう頭が見えている。もうすぐ産まれるよ」と言われ立ち会ってくれていた母も驚いていました。
10分後、大きな声で泣く元気な男の子が私の胸の上にいました。100%出るだろうと言われていた黄疸も、殆ど出ず、赤々とした綺麗な赤ちゃんでした。
神仏混合神様・御教祖様が下さった奇跡でした。この出産をきっかけに、今までの私は間違いで、嫌な事を避けてき たのだと気付きました。
真面目で優しいと思っていた主人も、自分の都合の良い様に見ていただけ、真剣に主人と向き合った事もありませんでした。
前の私なら諦めて間違った方に行っていただろうという事も、本当はどうすべきなのか、どうすれば幸せになるのか、今だけでなく家族の将来においても、どうする事が大事なのか、教えて頂き、学ぶ事が出来ました。
それを実行する為の度胸や、実行するタイミング、間、言葉、一切の助かる為に必要な知恵を知りました。そして、それに従う事が、自分が幸せになる、願いの叶う近道だと知りました。
神仏混合神様・御教祖様に解決して頂き、全て良い方向へと導いて下さいました。
私たち家族は、幸せの道を教えて下さる神仏混合神様、御教祖様のお言 葉を必ず聞きます。
必ず従います。いつも変わらぬ、一途な心で、教えを全うしてまいります。そして、幸せの道を歩み続けていきます。

2013年 02月

喜びの声

五年前、私の片寄った愛情や世間に見下されまいと肩肘を張った一人での子育てにより、娘は高校入学と同時に家にこもり、休みがちになって行きました。
その時、友人の導きで法ノ宮に御縁をいただき、妙蓮院で行をさせて頂きながら毎日毎日、相談をして自分の間違いを正して頂きました。
又、娘は毎月の法要で心身の済度をして頂き、三年間で学校も卒業できました。親子共に乗り越える心を頂き、今は無事に就職もでき本当に感謝しております。
毎日が苦しくて一人ではどうする事もできなかった私達を神仏混合神様・御教祖様は救って下さいました。そんな安心した日々の中、これまで健康だけがとりえだった私は会社の健診で三月に乳がんと言われ、なんとも言えない驚きと不安でいっぱいで した。
すぐさま御住職に相談に行き、二日後の本山法要に誘って頂き、御本尊様、御教祖様にお願いし済度を賜る事になりました。
御本尊様を拝顔させて頂き、ざんげの気持ちで涙が止まりませんでした。そして、もったいなくも御教祖様に済度を賜り、胸の張りやツリ一切が溶けてなくなり、済度の凄さに喜びと感謝でいっぱいでした。
その後、引き続き三日間の済度で安心していたのですが、子供たちが私を心配して、後押しをし、お金の援助もしてくれ、五月の講習会に参加することが出来ました。
人を恨む心、人との衝突、流してしまう事のできない思い、愛情の取り違いによって自分が生み出してしまう、この病気を、神仏混合神様に対して、御教祖様が先頭に立ち皆様方と一心不乱に「助けて下さい」と 唱えていただき、一点の心配も無く助けて頂きました。
その後、再検査で異常なしの診断を受けました。何度、助けて頂いても、性根のない私ですが、神仏混合神様、御教祖様への感謝を忘れずに教えを深く理解し言われたことは必ず実行してゆきます。又、妙蓮院建設というこの時期に役に立つ人間になっていく事をお誓いします。本当にありがとうございました。

2013年 01月

喜びの声

私が法ノ宮にご縁を頂き、十年が経とうとしています。
当時、主人の母は難病を患っており、私は家業の手伝いと母の看護に明け暮れていました。
そんな数年の間、息子は中学、高校、大学と特に問題もなく、順調に進んでいきました。
大学を卒業し、地元で就職した息子が、最初の頃は、会社での出来事を色々と話してくれていましたが、次第に口数も減り、無口になっていきました。
食欲もなく、いつもため息ばかりついていました。
気になり、どうしたのか聞きますが、言ってもわからないからと、自分の思いを胸に押し込め、日々過ごしていたのです。
ついに、息子は日々の生活に耐えられず、置手紙を残し、家出してしまいました。
すぐに、法ノ宮へ行き、ご相談し、御教祖様より、有難い御指示 を賜りました。「しばらくすると帰ってくるから安心しなさい」と言って下さり、私の不安も取り除いて下さり、どうすれば良いのか御指示もすぐに下さいました。
息子の勤め先に、電話しなければと思いつきましたが、どこへ電話していいのか分からず、私達は、息子の事を何も知らない事に気がつきました。
それから毎日、お茶とお水を神仏混合神様にお供えし、大きな声で息子の名前を呼びかけ、帰って来いと百回言うようにと、御教祖様からの御指示を頂いた通りに、毎朝、5時に起き、道場へ行きました。本当に必死でした。
今までの私をお許しください。
どうか、私の元へ息子をお返しください。
その為でしたら、何でも致します。と、何度も何度もお願いしました。大変な事になっているのではないか 、もう、帰ってこないのではないかと、来る日も来る日も、神仏混合神様、御教祖様しか救われる道はないと、ただただ祈りました。
三週間ほど過ぎ、大分支部の法要の準備も終え、家に帰ってくると、チャイムが鳴りました。
玄関の戸を開けると、息子がボーっと立っているではありませんか。息子を中にいれ、主人を呼び、言いたいことは山ほどあるのに、何を言ったのかも覚えていません。
帰って来てくれた嬉しさと、息子のうなだれた姿が哀れで、ただただ涙がこみ上げてきました。
すぐに、御住職に連絡し、神仏混合神様にお礼を申し上げました。私の元に息子を帰して下さった事に、深く、深く、感謝しました。
法要の日、早速、御教祖様に息子が帰ってまいりました。
御教祖様のおかげです。ありがとうございました。と申し上げると、本当に良かったなと、優しく言って下さいました。
本当は、御教祖様は、神仏混合神様の前で、私の息子に向かって「帰れ!」と、力強い声で唱えておられたそうです。
私の知らないところで、私の息子を救 っておられたのです。
恩にも着せず、いばりもせず、ただ優しく、そう言われたのです。
息子が帰って2、3日経った頃、息子の荷物の整理をしていると、家出をしていた時に書いた日記が出てきました。
失望感と不安の中にいた時、夢の中に神仏混合神様が現れ「帰る場所へ帰りなさい」と、言われたと書いていました。
その声に、呼び戻されるように、その日から東京を発ち大阪、博多、大分へと帰ってきたのです。
講習会に一回、二回と参加させて頂くうちに、どうしてこんな事になったのか、と言う答えが少しずつ解ってきました。
私は本当にいい加減なお詣りをし、教えを理解しようとせず、自分勝手な判断をしていました。
お詣りをしていれば何とかなると言う、本当に横着で甘えたものでした。それで も、私のみならず、家族までも助けて下さっている事に今頃気付き、今迄の自分に後悔するばかりです。
何事もなく日々を過ごしていた事が当たり前ではなく、一番の幸せであり、奇跡を頂いていたことにも気が付きました。
私を救って下さる神仏混合神様、御教祖様、心より感謝致します。

2012年 12月

喜びの声

今年の初めに、妻が私の死を夢で見ました。
私は、「夢なんだから気にするな」と。
妻に言いましたが、どうしてもと言う事で、その事について、御教祖様に謁見をさせて頂きました。
その際に、「今のままでは家族が壊れ、お前は死ぬぞ!」と、言われましたが、「家族の為に一生懸命に頑張っている自分が、何でそんな事を言われないといけないのか!」と、激しく反発して変わろうとはしませんでした。
そんな私に、御教祖様は、「お前は反発しているが、妻や子の為に、何としても命は救う」と、仰いました。
そして、五月に、あの頃に頂いたお言葉が現実のものとなりました。事務所で一人で仕事をしていた時に、突然、激しい胸の痛みに襲われました。
あまりの痛みにのたうち回り、助けを呼ぶ事も出来ませんでした。
その時、「神仏混合神様、御教祖様!命をお助け下さい!」と、すがる思いで願いました。
すると、痛みが少し和らぎ、救急車を呼ぶ事が出来ました。病院に運ばれ、心筋梗塞である事を告げられました。
妻にも連絡が取れ、御教祖様へ私の容態が伝えられると、すぐに、神仏混合神様へ祈って下さり、千願行をかけて頂きました。
命を救って頂いたものの、「法ノ宮の教え、行について、拝む事」何一つ解っていないと感じていた時、九月の講習会に誘われました。
御教祖様がご入場され、そのお姿を拝見した途端に、なぜか涙が止まりませんでした。
御教祖様が御説法で仰せられた「人は皆、生きる中で様々な罪を犯す」という事について、私が今までに生きてきた中での「大罪」とは何だろうと始めて考えました。
私は、4年前に開業した当時は、家族との時間を大切にして、少しずつ、着実に頑張っていこうと思っていました。
それが、時が過ぎ、軌道に乗ってくるにつれ、いつの間にか家族に対して「自分は家族を守る為に、もっと頑張らなくてはならないから、もっと協力してくれ」と、思うようになり家族は私に気を使い、取り残され、寂しい気持ちでいる事に気付かぬ振りをして、仕事に没頭していきました。私は「家族の為」と言いながら、本当は家族を犠牲にして、自分の為に過ごしていたのだと深く反省をしました。
感謝の気持ちを忘れ、反発してしまった自分自身が情けなく「お許し下さい」と心の底から後悔しました。
講習会において、神仏混合神様、御教祖様の御力で自分の間違いに気付く事が出来て、その罪を許して頂きました。
今、新しく生まれ変わらせて頂くことが出来ました。
法ノ宮の教えを学び、夫婦協力して、子供を教育する事、家族を大切にする事を知り、今では家族5人でおまいりをさせて頂く事に大きな幸せを感じています。
そして、これから、菩薩として生きていく為に、手を合わせて拝み、素直な心で学んでいく事を心に誓いました。

2012年 11月

喜びの声

私が、法ノ宮にご縁を頂いて早いもので八年の月日が経ちました。
その頃は、父の病気(末期の肝臓癌)、自分の病気(慢性肝炎)、そして会社の経営不振などで先が見えずお金の事、親戚関係の事、いろいろな事が湧き出て毎日喧嘩のようでいつもごたごたが絶えず、家庭は荒れ果ててしまい、私は知らず知らずのうちに自分でも嫌な人間になっていました。
しかし、お詣りを始めて御教祖様に今の自分がどうあるべきかを教えて頂きました。
あの時、「男になれ」と言われた事、今は良く解ります。
一番大切なものを犠牲にしないと願いは叶わない。
つまり、自分自身が人の支え、人の役に立つ行動、自分を顧みず尽くす、法ノ宮に尽くす事が、願いが叶うと教えて頂きました。
「人に頭を下げなさい、嫌いな人にこそ頭を下げなさい」と御教祖様は仕事を取るコツを教えて下さいました。
お陰様で、会社経営は順調に行くようになりました。
現場が忙しく営業活動が出来ない私を、今まで嫌だなと思っていた人が、大事な所で何度も助けてくれました。
「ありがとうございます」、「よろしくお願いします」と素直な気持ちで言えるようになりました。
家庭の方も、父は、七年前苦しむ事なく家族親戚に見とられ安らかに他界致しました。
親孝行を何一つやってない私に神仏混合神様、御教祖様は先祖供養という形で親孝行させて頂いております。とても有難い事です。又、母は認知症で今年の五月より施設にお世話になっていますが、百人待ちで入所困難な施設にも関わらず、施設の方からお話があり入所する事になりました。
妻と「自宅介護もギリギリのところかな」と話していた矢先の事で、本当にびっくりしました。
妻は週に二〜三回、私も週に一回面会に行っておりますが、私の事もあまり分からなくなっている母に対して、優しい気持ちで接する事が出来ております。
これからもどうぞ怪我をすることなく周りの方に優しくされ、元気で長生きして頂きたいと願っております。
私の病気の方も、毎月一回の済度を受け、体調も良く血液検査の数値も安定しており、毎月一回の診察が二ヶ月に一回になり薬の量が半分に減りました。
何より健康で仕事が出来、元気に暮らす事が出来ております。又、娘も受験の際、初代泰教主様に謁見をさせて頂き、より意欲が湧いたようでした。
志望校に学校推薦を頂く事が出来、楽に合格することができました。とても有難く思います。
これからも、法ノ宮の考え、神仏混合神様、御教祖様の教えを守り、もっと自分自身を向上させ、野村家の安泰、野村工業の繁栄を目指したいと思います。
これが、世間に対し目に見える法ノ宮の教えの布教だと思うからです。
聖信山発展繁栄の為、沢山の方々がお詣りにいらっしゃるように努力いたします。
最後になりましたが、このような機会を設けて頂きまして、改めて法ノ宮に対する想いを確信する事が出来ました。ありがとうございました。

2012年 10月

喜びの声

今、私は毎日龍楽寺に通っています。
ここ龍楽寺に近づけば近づく程気持ちが高揚し同時に心が満たされてくるのがわかります。
約十数年前の話になりますが、私は法ノ宮国分支部を訪れたことがあります。
まだ四十才代で何の苦労もなく普通に暮らしておりました。妻はその以前より義母と一緒に色々な行事に参加していましたが、私は初めてでした。
その時、御教祖様より「あなたは本当に鹿児島の人ですね。車から降りても女房を待つわけでもなく自分一人だけでさっさと入ってきた。なぜ待って一緒に入ってこないのか、それが夫婦だろう」という言葉を頂いたのを覚えています。
当時はそれが当たり前で急がない女房に非があると思っていました。
そして十年が過ぎ、五十才半ばになると、自分自身の体も昔ほどの持続力もなくなり、体力の衰えを痛感しています。
去年の事ですが、取引先の突然の倒産にて多額の借金を抱えました。
そして人間不信、まさかこういう日が来るとは思ってもみませんでした。
それまで経理関係は妻に任せっきりで自分では内容が解らず、その日より自分が動かないといけなくなり、銀行の方々との交渉、毎月の経理の支払い・返済の厳しさ、銀行も多額の金額になると一度には出してもらえません。
色々な金融機関よりお金を借りる手続き、そしてその許可がおりるまでには時間がかかり、問屋さんをはじめ色々な所に支払いが出来ない・・・。
その月々の返済額を計算すると、その大きさに打ちひしがれました。そういう時期に善行山住職に相談し法要に参加するように勧め られました。
御教祖様から済度を受けなさいと言われ、先生方の済度を受けていると、何でこんなにも一生懸命私の為に力を尽くして下さるのかとビックリしました。
御教祖様に「あらん限りの声を出せ」と言われて何度も何度も大声で叫び続けました。
自分でもビックリするほどの声が出て、同時に自分の中で何かの自信が、侵されていた神経が一瞬のうちに回復され、自信が戻ってきました。
その後、毎日の行に入らせて頂き、その度に確実に自分の体に自信が戻ってきているのが実感され神仏混合神様と御教祖様のお力であると痛感いたしました。
そんな中、今年三月に工事をした建設会社が危ないという話を聞き、手持ちの手形300万を超える金額の大きさに今の自分には現状借りる先もなく、不安になり 御教祖様より毎日の千願行に入りなさいと言われ、それを続けていくうちにまた奇跡を頂きました。
その建設会社に仕事が入り来年度までは大丈夫だという友人の話を聞き、そして不渡りとならず手形が落ちました。
これだけの不安を一瞬にして短期間で解決して下さった神様にこれまでお会いした事がありません。
御教祖様から法要の度に私に、そして体を弱らせている妻に全ての力を与えて頂き家庭がどんどん明るくなっていくのが分かりました。
今までにあちこちの神社にお参りをし、墓参りをし、自分自身ではそれなりの自負心がありましたが、具体的なご指導は頂けず、ただお願いするばかりでした。
しかし、法ノ宮に来て御教祖様より神仏の直接のお言葉を頂き、具体的な指導を受け、これこそ本物である。
これこそ真の宗教であり私ども家族を救って下さる方はないと確信し、今日も目覚めと共に行に行く毎日が続いています。
今年の8月には初めて御神板を納めさせて頂きました。
すると、ここ十数年来の目標であった「世界水草レイアウトコンテスト」で世界51カ国1,342作品の中で世界3位(日本人では1位)という名誉ある賞をいただき早速の願いお聞き届けに感謝致します。
神仏混合神様・御教祖様に深く感謝致しております。

2012年 9月

喜びの声

娘の交通事故。何が起こったのか分らないまま現場へ、目の前にしたものは変わり果てた娘の姿でした。
私は、すぐさま法ノ宮へ連絡を取り、ただひたすら、神仏混合神様、御教祖様のお顔を思い、「南無一切法蓮経」を唱えるよう教えて頂き、救急車へ乗り病院へ。
途中、瞳孔は開き、脈も弱く、血圧も下がる一方で、自分に大丈夫と言い聞かせながら、南無一切法蓮経を唱えました。
病院到着後、診察した医師から「これ以上、頭の出血の吸収がない場合、緊急0Pをします。」と言われ「会わせたい人がいたら、今のうちに呼んで会わせてください。」とも言われました。
私は言葉が出ず、ただひたすら南無一切法蓮経を唱えるばかりでした。アスファルトで焼け爛れ腫れた顔、ガラスの破片でキラキラした頭、一点だけを見つめる目、ピクリともしない体。
私は、娘に自分の今までを反省し、何の反応もない娘に謝りました。反応のない状態の中、聖信山御住職、善行山御住職、先生方が入院中に済度に来て下さいました。
私は、御住職のお顔を見て、泣き崩れそうになりましたが、「彩ちゃん、法信先生が来て下さったよ。大丈夫だよ。助かるよ。」と声をかけました。
反応のない日々が続く中で、娘の済度をして下さる姿に、私は本当にもったいない、ありがたいという思い、どうか一日も早く目が覚めますようにという思いで一杯でした。
それから十日後、娘は目を覚ましました。本当に驚きました。担当医師も驚いていましたが、「目が覚めても植物状態で、このままだと思いますので、お母さん、そのつもりで覚悟しておいて下さい。」と宣告されました。
私は、夜になると、ベッドに寝ている娘を見ると不安と悲しさで涙がこぼれ、どうしようもない気持ちに襲われましたが、住職に 電話で伝えると「御教祖様が『お前は大丈夫か、いつも傍にいるから心配するな。』といわれていますよ」と教えて下さいました。
私は、涙が出て止まりませんでした。娘は日を追う毎に回復し、食事を摂る事が出来、字を読む事が出来、車椅子を動かす事が出来、記憶も戻り、歩いて自宅へ帰れる体となりました。
退院後も、御教祖様に済度をして頂き、完全円満なる身体になったと宣言して頂きました。
その後は、希望する高校へ進学し好きな部活をして充実した日々を過ごさせて頂き、今春からは、夢の第一歩を踏み出す事さえも導いてくださいました。娘の事故は、私達家族の、大きな転機だったと思います。
この最悪の事故でいろいろな事を学びました。自分の事だけしか考えていなかった私達。
そのままだと、親が法ノ宮にお詣りをしていても手のつけようがない娘になっていたと、後から教えて頂きました。
毎日の行、時々は行き詰る時もありますが、その時は基本に戻り、今一度、御教祖様の御説法を聞き、少しずつでも前進していく事を忘れません。
私達の傍には、常に見てくださっている神仏混合神様、御教祖様が居られる事を実感しました。もっと学び、拝み、人身救済を目標としていく心であります。
私は今こそ「神仏混合神様は偉大なり、御教祖様は偉大なり」と叫びます。法ノ宮に導いてくださった事は、私の人生の最高の幸福です。神仏混合神様、御教祖様、心より感謝申し上げます。

2012年 8月

喜びの声

私が法ノ宮にご縁をいただいて、早18年が経とうとしております。
この18年間、神仏混合神様、御教祖様、両親、人様に甘えてきた私がついに、この春より大学に進学できるという奇跡を頂きました。
私は母の後を継ぐべく、薬剤師になるために薬学部を志望してきました。
しかし高校に入ってからの私は、成績はどんどん落ちていき薬学部に一番必要な教科の化学は、欠点をとるのが当たり前になっていました。
そんな状況にも関わらず、私はどうにかなるだろう。という何処から湧き出てくるのか、根拠のない自信で、勉強する事から逃げていました。
今思えば、その自信は、困ったときは神仏混合神様、御教祖様がなんとかしてくれる。という傲慢な考えからだったと思います。
そんな風にダラダラと毎日を過ごしているとあっという間に進路を決めなければならない時期を迎えてしまいました。
いい加減焦ってきた私は、残された短い時間でこれからどうすればいいのか御住職に御教祖様にお聞きくださいと泣く泣くお頼みしました。
すると御教祖様は「お前次第だぞ!法ノ宮を中心としながら勉強すれば必ず上がる」という御言葉を頂き、それからというもの、御教祖様の一声でこんなにも人は変われるのかというくらい、まともに勉強を始めました。
家族も驚いていました。私の他にも薬学部志望者はたくさんおり、ほとんどの人が成績上位者だったにも関わらず、そんな中で私はなんとしても親の後を継がなければならないという事を先生方にも分かって下さったのか、薬学部のある大学から指定校推薦がきている事を教えて下さいました。
これこそ神仏混合神様、御教祖様の御計らいだと実感しました。
さらに有難いことに、去年までは毎年1校しか指定校推薦の枠は来ていなかったのですが、今年は5校も枠が来ていて、なんとその中に私が志望していた大学があったのです。本当に感謝するしかありません。
いつも何気なく御参りをさせて頂いておりましたが、どれだけ奇跡を頂いているものかと身をもって実感いたしました。
試験もスムーズに受けることができ、十一月の初めに無事合格を頂きました。おかげで、心置きなく思う存分に大祭をはじめとする行事を楽しく参加させていただくことができました。
ありがたくて、こわいくらいです。しかし、この守りの手の中に自惚れるのではなく大学に入れば6年後の国家試験に向けて今まで努力してこなかった分、たくさんの困難が待ち構えていると思います。
しかし私にはいつも神仏混合神様、御教祖様がついていてくださいます。
ですからこれからはもっと法ノ宮を中心とし、仕えるものとしての姿勢で一つ一つ乗り越えていけたらと思っております。
神仏混合神様、御教祖様への御恩は返しても返しきれるものではありませんが、必ず、出世払いで少しでも返して参ります。

2012年 7月

喜びの声

結婚して二年が過ぎた頃でした。
私は泣いて過ごす日々を送っていました。
今ある現実を不満に思い、もっと違う形の幸せへの道があったのではないかと後悔ばかりしていました。
しかし、頼ろうと思っていた自分の親とも、本心で話し合った事などなく、苦しい日々でした。
友達に連れられて、初めて法ノ宮を訪れ、私が望んでいた事は、子供と二人で暮したい!という事。
これを願いながら、毎日のように、ただ淡々とお参りしていきました。
気分が落ち込んでいる時も、イライラしている時も、泣きたい時も、楽しかった時も神仏混合神様に会いに行きました。
そして、お参りしている事を家族に話してみました。
今までちゃんと話せなかった親にも、気持ち全て話す事が出来たのです。
それからは母親、姉も一緒に法ノ宮に行けるようになりました。
その頃、変わっていった事があります。子供の頃から、私は親に反発ばかりし、手のかかる子、扱いにくい子と言われてきました。
しかし、お参りを始めてからは一緒に食事もするようになり、親に感謝が出来るようになっていき、嫌いだった父からも顔つきが変わったね、すごく良くなったと褒められる様になりました。本当に嬉しかったです。
そして、父親、母親に対する本物の愛を感じるようになりました。
この頃には毎日が楽しく感じ始め、あんなに毎日毎日泣いて過ごしていたのに、気が付くと泣く事もなくなっていたのです。
自分の感情に大きな変化が生まれている事に気が付きました。主人に対する気持です。
今まで憎らしく、嫌いだった生活が、これから先も一緒の生活を描ける様になっていたのです。
最初、気持に気付いた時には受け入られず、消してしまおうと必死になりました。
しかし、神仏混合神様の前でこの気持を正直に訴えました。
それからは、主人に対する態度も変化していき、会話も少しずつ増えていき、一緒に過ごす時間も増えていきました。
子供も変わっていき、笑顔が増え、お友達にも手を出していた子が、仲良く遊べるようになってきたのです。私の気持ちが一つ変わっただけで、周りがこんなにも変わってくるのかとビックリしました。
そして、法ノ宮に出会ってから一年が過ぎた頃、大きな奇跡を頂きました。二人目の小さな命をお腹に授かる事が出来 たのです。そして今、主人も一緒にお参りが出来るようになりました。
今、私は毎日が充実していて、とても幸せです。この全ての良かった事は神仏混合神様、御教祖様が教えて下さった、私達家族への幸福の道です。
これからも、偉大なる神仏混合神様の教えを学びながら幸せへの道を歩み続けて行きます。

2012年 5月

喜びの声

私は法ノ宮にご縁のある前に体を悪くし、片方の卵巣を摘出しておりましたが、今年の2月の定期健診で病院の先生から『もう片方の卵巣が腫れて大きくなっています。腫瘍マーカーの数値も高いですし、癒着もありえますので、開腹手術をして確認したいと思いますので、両親を連れてまた病院に来て下さい。』と言われました。
この事をそのまま両親に伝えたら、間違いなく私の両親は『病院の先生の言う事なら、手術を受けなさい』と言うだろうと確信がありました。
私の気持ちとしては『絶対に手術を受けたくない。怖い。恐ろしい。体に傷を入れたくない』数年前の闘病生活と大手術が頭を過ぎりました。
私は両親に話す前に、まず御住職に相談しました。
すると、すぐに御住職も御教祖様にお尋ねして下さり、『神仏混合神様に心も体も全てお任せ致します。どうか宜しくお願い致します。』と心から必死にお頼みし、それから帰って両親に話しなさい。との事でしたので、神仏混合神様に『どうか手術を受けずに済みます様に』と必死に泣きながらお願いしてからその日は帰宅しました。
両親に話をすると、『もう少し詳しく検査をして悪かったら手術を受けよう』と言ってくれました。これさえ私には大奇跡です。
私の思い通りに神仏混合神様・御教祖様はして下さったのです。
しかし、油断は全く許されない状況。その検査の結果がもし悪いものならば、すぐ、手術をしなければならない状況でした。
そんな中で、法要、勉強会におきまして、御教祖様の済度を受けさせて頂きました。また、身体を健康にするための私のやるべき事も教えて頂きました。
そしてすがる思いで私は素直に全てを実行致しました。
御済度の最中、御教祖様が私の体に手を当てられ『ん〜。何も悪いものは無いな〜』というお言葉をつぶやかれました。
病院の先生とは全く違う事を言われたのです。
御教祖様のそのお言葉一つで、私は何とも言えない安心感に包まれました。
その後、検査の日がとうとう来ました。その検査も、片方の卵巣を切って細胞を調べるという事でしたが、他の検査方法に変わったのです。
それだけでも私には嬉しく、また大奇跡を頂いたのです。
しかし、有難い奇跡はそれだけではありませんでした。
病院が出した結果は『正常です。異常も何もありません。卵巣の腫れも前回より小さくなって良くなっています。』という信じられない言葉でした。
本当に驚きと、嬉しさと、感謝と、有難さとが、いっぺんに心に溢れ、神仏混合神様・御教祖様は偉大である!すごいお力をお持ちの方だ!と、改めて思いました。そして、大きな奇跡がもう一つ。
3月の定期健診の時です。いつもの様に、検査を終えた私は検査結果を病室で待っていました。
担当の先生が慌てて私の所に来ました。
その慌てぶりをみて、何かあったのかと一瞬にして私は恐怖心に襲われました。
ところが先生から言われた言葉は、『おめでとうございます。妊娠しています』と信じられない言葉でした。その時の不安が、強く大きな喜びへと変わりました。
神仏混合神様は私に子供を授けて下さいました。この上ない喜びです。改めて思います。
神仏混合神様・ 御教祖様に出会えて良かった!そして、いついかなる時も感謝の気持ちを忘れず法ノ宮に尽くして参ります。

2012年 4月

喜びの声

この春、私は二十七歳で高校を卒業させて頂きました。
小学校の時に受けたいじめ、登校拒否、そして引きこもり、私は学校に対して強い劣等感を抱き続けていました。
卒業できているのは小学校だけで、中学校へは一日も通わず、高校も中退した為に、法ノ宮にご縁を頂いた二十一歳の頃、自分は何もできないんだと思い込んでいて、御住職、法孝慧先生の言う事を素直に聞けませんでした。
本当に、私ほど手がかかった人間はいないのではないかと思います。しかし、神仏混合神様、御教祖様はこんな私を何としても助けようとして下さいました。
「人間は学歴ではない、教養ぞ!ここで学んで身につけなさい」御教祖様が強くも温かな眼差しでおっしゃって下さったお言葉が私の希望になりました。
本当に親身になって思ってくださるお方がいることに初めて気付かされたのです。
笑う事、泣く事、私は人間らしさを取り戻していきました。法ノ宮で身につけたことが、働けるようにならせて頂いた時、全てが役に立つ事となりました。
二十五歳の時、私は高校に再入学する決意をしました。
通信制で日曜日が学校の為、大事な法要に遅れてしまうことになり、そこまでして高校に行くべきか迷いました。
御教祖様が「結婚して行くことは難しい。卒業してない事が気になるのだったら行きなさい」とおっしゃってくださったことで、私は自分の心に正直に、働きながら高校に通い始めました。
ずっと「学校」という言葉すら聞くだけで苦しかった私が、学校へ行く事が嬉しいと感じられる様になっていったのです。
2年生の時、自身の体験を発表する弁論大会で、学校代表に選ばれ、地区大会では最も良い評価を頂き、県大会まで出させていただきました。
今まで自分の過去と人には知られたくないと思っていましたが、神仏混合神様のお蔭で人前で話す機会をいただき、あれほど因われていたものがすっかり消えてしまったかのようでした。
そして今回、卒業式では謝辞を読む大役をいただきました。
私は聞いて下さる皆様にどうしても伝えたい思いがありました。『私を変えて下さった法ノ宮がある事を知って欲しい。一人でも多くの人の心に届きますように』と、心を込めて読んだのです。読み終わった後、式中一度もなかった拍手が鳴り始め、私は驚きと感動で壇上に上がると校長先生が笑顔で私の手を両手で包み、握手して下さいました。
式が終わった後、話もしたことのない生徒が何人も感動しましたと言ってくれました。
全てが神仏混合神様、御教祖様のお蔭です。私にはもう学校に対する劣等感はありません。本当にありがとうございます。
一月の講習会で御教祖様より有難き法衣を賜りました。法衣を頂く際、御教祖様が「法衣に守られるのではなく、人を守ってあげられる人間になりなさい」というお言葉を頂きました。
神仏混合神様、御教祖様に救って頂いたこの命、生まれ変わらせえ頂いたこの魂で歩む新たな人生、御心に添う人間になるべく、日々精進してまいります。

2012年 3月

喜びの声

私の父は糖尿病で人工透析をしています。
それからくる左足の壊疽が始まっていました。
入院していたのですが2〜3日で足の壊疽がとてもひどくなり、精神まで急におかしくなり目は起きていても、寝ていても半開き状態、その様子を見て父の死期が近い事を感じました。
その次の日、熊本の法要でしたが、もしかしたら今日危ないかもしれないという不安はありましたが病院で側にいても私に出来る事はない、それよりも父の事を御祈願させて頂きたいという気持ちで熊本の法要に参りました。
熊本法要が始まり天下発起護摩祭が終わると同時に御教祖様が私の方を向かれて「おい、お前烏帽子と祝詞入れをとれ!今しかなかろう!」と言われました。
正面に立たされ「お前の親父は今危なかろう!」と言われ「父を助けたいか!」と激しく強い口調の御教祖様、つかさず「はい」の私「本当か!」「はい」何がなんでも助けて下さいの気持ちで即座に「はい」と大きく答えました。
命を救うと言う事は、運命を変える大変な事です。
後でわかったのですが、本当に真剣な心を持っていないと救われない為にそれで私の心を試されたのでした。
「よし分った」のお声で「お前は今からお前の父だ」と言われ私の体を父とし激しくものすごい速さで私の体の周りの悪気を切られ始めました。
目にも止まらぬスピードで済度棒を使いこなすそのお姿、その目は人間ではない神の姿としての御教祖様でした。
そして済度棒で私の体を突かれた時は、父の悪い部分の足と胸がポワっと温かくなるのを感じました。
「よし!救った」と大きな声が聖信山の道場に響き渡しました。
法要に来られていた皆様の歓声と共に「ありがとうございました」とお礼を言い、救って頂いた有難さに涙が止まりませんでした。
次の日に病院へ行くとなんと足の血管は両足ともほとんどないのに、足がとても温かくなっていました。
しかし精神はボケた状態のままでした。そしてひとまず帰り夜にまた病院に来ました。
すると何という事でしょうか!寝ていた父を起こすと、はっきりとした目、口調、それを見た瞬間全てが救われたとはっきりと分りました。
本当に何もかも救っていただき、命はもちろん、精神までも元通りになり救って頂きました。
その場にいなかった父を救って頂き、これが神業でなくてなんだろう。本当に御教祖様はすごい!
私は御教祖様のすごさを思い知らされました。
足の切断が法要から三日後に決まっておりましたが父の良くなった足を母が見て「足が良くなっている」と言いました。
法ノ宮の事を全く認めなかった母と父でしたが信じざるを得ない現実がそこにありました。
こんなにも素晴らしい神様は居られません。
必ず全ての事を良き方向へと向けてくださる神仏混合神様、本当にありがとうございました。

2012年 2月

喜びの声

この度初めて秋の大感謝祭に参加させて頂いたにもかかわらず、蓮華の奉呈という大役を頂きありがとうございました。
十年ほど前からパニック発作を起こすようになった私は高速バスなどの乗り物を極力避けて過ごしていました。
しかしながら、この法ノ宮で自分を変えるきっかけが欲しいという思いで秋の大感謝祭への参加を決めました。
前日まではかなりの緊張感や不安感がありましたが、当日には気分が落ち着いており道中は不思議な程ゆったりとした気持ちで過ごす事が出来ました。
儀式が始まりいよいよ蓮華の奉呈、いつもの私なら立っている事すら出来なかったかもしれないのに、とても穏やかで暖かなものに包まれ、そして自然に前へ前へ導かれていきました。「これは無理だろう」とすぐ自分勝手に思い込みその事から逃げ出そうとする私が初めて味わえた達成感でした。
これは全て神仏混合神様が私を支えて下さり、導いて下さったおかげでしかないと、確信しました。
思い起こせば十年前、沢山の薬漬け状態で医者からは第一子は諦めなさいと言われていたのに、御教祖様に謁見していただいて、神仏混合神様に頼って徐々に減らしていけばいいから薬を飲みながらでも無事に何とかお行をさせて頂き念願の女の子に恵まれました。
弱々しかった私からは想像もできない位、母乳も出て母子共に健康で生活させて頂いておりました。
しかし、足が滞りがちになっていましたが主人の商売を始めるにあたっての不安から、また一年半位前から足を運ぶようになったばかりでした。
また何度かくじけそうになる私を励まして頂ながらこのような晴れがましい舞台に立たせて頂き感謝してもし尽くせない思いで一杯です。
神仏混合神様のお導きとお守りがなければ、まともに生きていけない事を改めて自覚いたしました。
この想いを忘れない為に常に神仏混合神様・御教祖様を意識し、教えをしっかり理解できる人間になれるよう努力してまいります。

2012年 1月

喜びの声

私には難病を抱える二人の息子がおります。
筋肉の発達がとても弱い為、歩く事が出来ません。
私は3人目の子を宿していましたが、息子たちの事を思うと、どうしても勇気がでず、断念せざるを得ませんでした。
このような事が続く中、法ノ宮のお話を頂き、お参りをさせて頂く事になりました。
主人も私も、我が子に不自由な思いをさせてしまって、申し訳ない気持ちで過しており、この子達を助けてやりたいという一心で、行を始めるようになりました。
御教祖様より、「この子達は治るぞ」と御言葉を頂き、心強い気持ちになりました。
行の中での、御教祖様から頂く御言葉を有難く受け止め、どれだけ心強く親としての勇気を頂いた事でしょうか。日々、行をさせて頂くうちに、心がとても軽くなり、気持ちも明るくなっていきました。家族の夢と希望が湧いてきました。
しかし、命が危ないという状況に幾度もあい、そのたびに、救いを求め、泣き叫ぶ思いで行をしてまいりました。
苦しそうな息の中、死んでしまうのではないかという恐怖の中、幾度も神仏混合神様は命を助けて下さいました。
毎日の生活の中では、身も心も疲れ、心に余裕がなくなってくると、主人を責め、ケンカする事もあります。
そのような時、御教祖様より「優しくなりなさい、許しなさい」と教えを頂き、ハッと気付かされ、反省しながら、毎日を過ごしています。
御住職より「この子達は、自分で歩けなくてもいいから、あなた達の所に生まれたいと望んで来たんだよ」と教えて下さりました。
こんな私でも、選んで生まれてきてくれた事を、痛感させられるお言葉です。
ご縁を頂き、1年が過ぎる頃、私のお腹には、新たな命が宿っていました。以前のような不安な気持ちはなく勇気と決断が出来たのは、神仏混合神様、御教祖様のおかげです。
健康な子供を授かる為に、主人に心がける事、私に心がける御言葉を頂きました。
平成十八年十二月に無事に安産で五体満足に、待望の女児が誕生しました。
現在2歳を目前に、毎日走り回って元気に過ごしています。親としてこれほどの歓びはありません。
法ノ宮にご縁を頂き親として地獄のような心の苦しみから、救って頂きました。私達家族は幸せに暮しております。本当に心から感謝申し上げます。
これからも法ノ宮の教えを学び必ず神仏混合神様、御教祖様に御恩をお返しいたします。

2011年 12月

喜びの声

十五年間受験し続けてきた鹿児島県教員選考試験に合格させて頂きました。
まして、二十四人の受験者の中、中学校技術科は採用枠が一名。大奇跡を頂きました。
私がもし、法ノ宮にご縁を頂いていなかったら合格はできなかったと思います。
それどころか、難しくなるばかりの教育現場で、冷静さを保てずに精神を患っていたかも知れないと考えると法ノ宮ってなんて有難いのだろうと思います。
今まで、試験の前には御教祖様に謁見をお願いし、試験に向けて「面接では、『はい』しか言うな。何でもやります。どこでも行きます。頑張ります。と言いなさい。そして『愛』という言葉を答えの中に入れなさい。法ノ宮の教えに沿って答えなさい。」と毎回言われていました。
しかし、いざ面接本番では気負ってしまい、御教祖様からの折角のお言葉が頭から飛んでいました。本当に申し訳ございませんでした。
住職からいつも「前堀君から自分が自分がという部分がなくなれば、神佛混合神様は、北海道でも岐阜でもいつでも合格させて下さるんだよ」と言われていました。
今年の一次試験、特に集団面接では、御教祖様に言われた通り、常に神佛混合神様を意識し、法ノ宮の教えに沿った返答をと自分に言い聞かせながら望みました。
しかし、最後の質問は何を意図した質問なのかつかめず、今回も一次試験でダメかなぁっと諦めていました。八月一九日、実家から鹿児島に帰ってみると、既に結果が届いていました。
封を開けてビックリ。一次試験合格でした。
絶対不合格だろうと思っていた私は、何かの間違いでは?と何度も通知文を読み返しましたが、やはり合格。
急いで二次試験に向けた準備と健康診断、住職や両親・知り合いに一次合格の連絡をしました。
八月二六日、龍楽寺近くにある県教職員研修センターで二次試験を受験しました。
午後からの試験だったため、午前中は善行山で行をしてから試験会場に向かいました。
中学校技術科、二次試験に残ったのは四人だけ。この四人の中から一人〜二人の採用になるんだと思いながら望みました。
まず最初に「模擬授業」でした。およそ八分程度の模擬授業。生徒に扮した試験管の一言に、本来すべき授業から大きく掛け離れてしまい大失敗。
気を取り直して個人面接。しかし、面接官の揺さぶりに、つい本音を言ってしまったりと散々でした。
二次試験の翌日が国分支部での勉強会でした。
御教祖様に謁見をお願いし、試験の報告をさせて頂きました。
御教祖様は「特に大きな失敗でもないし、むしろ好印象を与えただろう。」とおっしゃって下さいました。
今思えば、御教祖様は既にこの時点で「合格」と分かっていらっしゃったと思います。
十月の善行山法要の前にインターネットで合格発表を教頭先生と確認。何と中学校技術科合格者一名。私の受験番号だけしかそこには載っていませんでした。本当に信じられませんでした。今でも私が合格できたことが信じられない位です。
早速、謁見をお願いし、御教祖様にご報告をさせて頂きました。
本当に心から喜んで下さり、今後どのように行動を取って行けばよいかまで教えて頂きました。
どんな時でも、先の先を見て教えて下さる御教祖様はやはり素晴らしいと改めて思いました。
六月に行われた龍楽寺開眼式の後、御教祖様は「お寺ができたことで、ご先祖もあなた達も一段階位が上がった」とおっしゃいました。
本当に一段階上がったんだと実感させて頂きました。
何よりも龍楽寺を建てて頂いたお陰だと思いますし、御教祖様の言われる通りに行動すれば願いは叶うと身を以て感じました。
本当に有り難うございました。

2011年 11月

喜びの声

今回も偉大なる神佛混合神様・御教祖様に助けて頂きました。
前の日まで元気だった孫の譲太朗の体調が悪くなった事を知ったのは、仕事が終わり佛龍寺に行く前でした。
私は、佛龍寺に行き、いつものように行をしました。行の後、法孝慧先生に譲太朗の事を話すと、とても心配してくださり、「神佛混合神様・御教祖様に、譲太朗の体調が良くなるようにしっかりお願いをして帰るのよ」と言われました。
家に帰り、譲太朗の様子はいつもより元気がないな、と思うくらいでした。
しかし、それからだんだん機嫌が悪くなり、熱も高く、頭が痛いと泣き出しました。
頭を冷やしてやると気持ちがよくなったのか眠ってしまったのですが、ぐっすり眠れずにすぐ目を覚まし、「頭が痛い、痛い」と泣くばかりで した。
どう処置をとればいいのかわからず、御住職に電話をして御教祖様から直々に、「家の三神様の前で魔を切り、体をさすってあげなさい」と御指示を頂き、娘はすぐに行いました。
三神様に御礼の挨拶が終わったと同時に、譲太朗は吐いてしまいました。
しかし吐いた後すっきりとした顔をしていたので「済度をしていただき、悪いものが出たのかもしれないね。」と話しました。
気分が良くなったのか「アイスが食べたい」といい、少し口にしました。
ちょっと安心していたのですが、また悪くなり三神様の前で体をさすってあげるとそのまま寝てしまいました。
しかし、目を覚ますと、また吐いてしまったのです。
夜中も眠れず、何度も目を覚まし、機嫌が悪く泣いてばかりいました。
私も心配で眠れず、朝 方うとうとしていた時、夢に御教祖様が出てこられ「もう一度済度してあげなさい」と御言葉をいただき、なんと御教祖様が私の右手に優しくお光を与えてくださったのです。私が目を覚ますと譲太朗は「頭が痛いよ、お母さん!助けて!」と叫んだのです。これはただ事ではないと思い、私はすぐに譲太朗の額に右手をあて、「神佛混合神様・御教祖様、譲太朗を助けてください」と心からお願いをし、南無一切法蓮経を唱えました。
するとぐっすり寝てしまったのです。
数時間して目が覚めると、譲太朗は起き上がり、何事もなかったような顔でお腹がすいたといい、食事を始めました。
私達は本当に驚きました。
「頭は痛くないの?気分は悪くないの?」と聞くと、けろっとした顔で「痛くないよ」と言ったの です。
高熱が出て、頭が痛いと泣き、ぐったりとしていたはずの譲太朗が、ほんの数時間で熱も下がりいつものように元気になったのです。
夢の中でいただいた御光には本当の驚き、いつも神佛混合神様・御教祖様ガ私達を包み、守っていてくださる事に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
本当に神佛混合神様・御教祖様のお力は偉大です。
譲太朗を助けて頂きありがとうございました。

2011年 8月

喜びの声

今から十二年前、私は母に連れられて、この法ノ宮に来ました。
小学六年生になってしばらくした頃、私はお詣りに行く事が嫌になり、法ノ宮を避けるようになりました。
学校の用事、友達との約束、部活など様々な理由をつけては、お詣りにいけないようにしていました。
それから数年、母の機嫌を気にしながらも、私はますますお詣りから離れ、自分のやりたいように過ごしていました。
そして、中学三年の六月、部活からの帰り道で、普通乗用車との事故に遭いました。
事故の前後の事はほとんど憶えていませんが、真っ青で血だらけになった自分の顔を見たことだけは憶えています。
病院に運ばれて十日が経ち私は目を覚ましました。
入院している間、聖信山御住職と先生方が済度に来て下さったのですが、一度だけ、御教祖様が私の所に来て下さり、済度をして下さいました。
しかし、のちに元気になってから、母に聞いたところ、その様な事は無かったと言われ、あれは夢だったのかと不思議に思っています。
御教祖様の御神体が、私の病室まで来られて私を済度して下さったのだと思います。
痛みもなく、不安もなく心と身体が癒された思いがしま す。
その後の回復は、主治医の先生に「奇跡だ」と言われるほど早く、事故からわずか一ヶ月で退院する事ができました。
誰もが「死ぬ」のではと思うほどの状態から一ヶ月でした。
退院後、私が目を覚ますまでの間、聖信山の先生方が毎日済度に来て下さっていた事、本山を始め、各支部の信徒の皆様方が「南無一切法蓮経」百巻を上げて下さっていた事などを、母から聞きました。
そして、自分は自分一人の力で戻って来たのではなく、偉大なる神佛混合神様、御教祖様のおかげです。
そして、法ノ宮に関わる全ての方々によって、死の淵より呼び戻されたのだと感じました。
事故から四年が経とうとしています。
この四年間、素晴らしい学生生活を経験する事ができました。
生きていたから、頂いた命があった からこそ、私の青春時代がありました。
そして、聖信山を始め、会った事も、喋った事もない私の為に、お経を上げて下さった各支部の先生方、信徒の皆様方、家族、友達のおかげです。
本当にありがとうございました。これからは神佛混合神様、御教祖様にお仕えする事で恩返しをしていきたいと思います。

2011年 7月

喜びの声

四年前、私は卵巣癌になりました。
手術をし、腫瘍を摘出し、抗癌剤治療を始め、毎日がつらい日々でした。
苦しく、このまま死んだ方が楽になるのにと何度も思いました。
その頃、美容師をしていた私は仕事のストレス、会社のせいで病気になってしまったと、人のせいにし、周りのせいにし、なぜ私がという不満ばかりを口にし、ふてくされていました。
高校の頃から法玉さんとご縁があり、入院してから毎日お見舞いに来てもらい、抗癌剤が始まってからは、お祓いと御聖水を毎日いただき、毎日少しずつ法ノ宮のお話をしていただきました。
治療中でしたが、外出が許され法ノ宮へ行き御教祖様直々に済度をしていただきました。
その時、体がすごく楽になったのを今でもはっきり覚えています。
残りの治療がとても楽にできたのです。
退院して御参りを始めて、手術から1、2年たった、あるCTの検査で腫瘍が見つかり、熊本にある病院で全ての癌がわかるペットという検査を受けに行く事になりました。
不安でいっぱいだった私はすぐに御住職に御相談し、御教祖様に済度をしていただきました。
後日、結果と診察を受けに病院に行くと「異常ありません」という結果にくわえその腫瘍もなくなっていました。大奇跡です。
本当に驚きました。法ノ宮に戻り、御教祖様に御報告させていただくと御教祖様は「おめでとう」と言って下さいました。
私は涙が止まりませんでした。
こんなにも何度も何度も救っていただける御方は他にはおられません。
神佛混合神様、御教祖様のお力は本当にすごいです。
卵巣癌、この出来事は私にとって決して良い事ではありませんでしたが、この出来事を経験したからこそ、法ノ宮にご縁をいただき、神佛混合神様、御教祖様に救っていただけたのだと思います。
入院中、教えてもらいました法ノ宮の教えの一つで「良い事も、悪い事も人生の良い道へ生かす」という事を教えていただきました。
思い返すと、身も心も健康になった今、本当に身にしみて思います。
これからも、もっと神佛混合神様、御教祖様に感謝し家族に感謝し、法ノ宮で(神佛混合神様、御教祖様に)使っていただける人間になります。
本当にありがとうございました。

2011年 6月

喜びの声

私が法ノ宮にご縁をいただいて、早18年が経とうとしております。
この18年間、神佛混合神様、御教祖様、両親、人様に甘えてきた私がついに、この春より大学に進学できるという奇跡を頂きました。
私は母の後を継ぐべく、薬剤師になるために薬学部を志望してきました。
しかし高校に入ってからの私は、成績はどんどん落ちていき薬学部に一番必要な強化の化学は、欠点をとるのが当たり前になっていました。
そんな状況にも関わらず、私はどうにかなるだろう。という何処から湧き出てくるのか、根拠のない自信で、勉強する事から逃げていました。
今思えば、その自信は、困ったときは神佛混合神様、御教祖様がなんとかしてくれる。という傲慢な考えからだったと思います。
そんな風にダラダラと毎日を過ごしているとあっという間に進路を決めなければならない時期を迎えてしまいました。
いい加減焦ってきた私は、残された短い時間でこれからどうすればいいのか御住職に御教祖様にお聞きくださいと泣く泣くお頼みしました。
すると御教祖様は「お前次第だぞ!法ノ宮を中心としながら勉強すれば必ず上がる」という御言葉を頂き、それからというもの、御教祖様の一声でこんなにも人は変われるのかというくらい、まともに勉強を始めました。家族も驚いていました。
私の他にも薬学部志望者はたくさんおり、ほとんどの人が成績上位者だったにも関わらず、そんな中で私はなんとしても親の後を継がなければならないという事を先生方にも分かって下さったのか、薬学部のある大学から指定校推薦がきている事を教えて下さいました。
これこそ神佛混合神様、御教祖様の御計らいだと実感しました。
さらに有難いことに、去年までは毎年1校しか指定校推薦の枠は来ていなかったのですが、今年は5校も枠が来ていて、なんとその中に私が志望していた大学があったのです。
本当に感謝するしかありません。
いつも何気なく御参りをさせて頂いておりましたが、どれだけ奇跡を頂いているものかと身をもって実感いたしました。
試験もスムーズに受けることができ、十一月の初めに無事合格を頂きました。
おかげで、心置きなく思う存分に大祭をはじめとする行事を楽しく参加させていただくことができました。
ありがたくて、こわいくらいです。
しかし、この守りの手の中に自惚れるのではなく大学に入れば6年後の国家試験に向けて今まで努力してこなかった分、たくさんの困難が待ち構えていると思います。
しかし私にはいつも神佛混合神様、御教祖様がついていてくださいます。
ですからこれからはもっと法ノ宮を中心とし、仕えるものとしての姿勢で一つ一つ乗り越えていけたらと思っております。
神佛混合神様、御教祖様への御恩は返しても返しきれるものではありませんが、必ず、出世払いで少しでも返して参ります。

2011年 2月

喜びの声

今から十二年前、私は母に連れられて、この法ノ宮に来ました。
小学六年生になってしばらくした頃、私はお詣りに行く事が嫌になり、法ノ宮を避けるようになりました。
学校の用事、友達との約束、部活など様々な理由をつけては、お詣りにいけないようにしていました。
それから数年、母の機嫌を気にしながらも、私はますますお詣りから離れ、自分のやりたいように過ごしていました。
そして、中学三年の六月、部活からの帰り道で、普通乗用車との事故に遭いました。
事故の前後の事はほとんど憶えていませんが、真っ青で血だらけになった自分の顔を見たことだけは憶えています。
病院に運ばれて十日が経ち私は目を覚ましました。
入院している間、聖信山御住職と先生方が済度に来て下さったのですが、一度だけ、御教祖様が私の所に来て下さり、済度をして下さいました。
しかし、のちに元気になってから、母に聞いたところ、その様な事は無かったと言われ、あれは夢だったのかと不思議に思っています。
御教祖様の御神体が、私の病室まで来られて私を済度して下さったのだと思います。
痛みもなく、不安もなく心と身体が癒された思いがします。
その後の回復は、主治医の先生に「奇跡だ」と言われるほど早く、事故からわずか一ヶ月で退院する事ができました。
誰もが「死ぬ」のではと思うほどの状態から一ヶ月でした。
退院後、私が目を覚ますまでの間、聖信山の先生方が毎日済度に来て下さっていた事、本山を始め、各支部の信徒の皆様方が「南無一切法蓮経」百巻を上げて下さっていた事などを、母から聞きました。
そして、自分は自分一人の力で戻って来たのではなく、偉大なる神佛混合神様、御教祖様のおかげです。
そして、法ノ宮に関わる全ての方々によって、死の淵より呼び戻されたのだと感じました。
事故から四年が経とうとしています。
この四年間、素晴らしい学生生活を経験する事ができました。
生きていたから、頂いた命があったからこそ、私の青春時代がありました。
そして、聖信山を始め、会った事も、喋った事もない私の為に、お経を上げて下さった各支部の先生方、信徒の皆様方、家族、友達のおかげです。
本当にありがとうございました。これからは神佛混合神様、御教祖様にお仕えする事で恩返しをしていきたいと思います。

2010年 12月

喜びの声

私は法ノ宮に御縁を頂いて十年になります。
会社に入社して四年目の夏、会社が子会社と統合し私はグループ会社へ出向の辞令を受けました。
グループ会社に出向ということは、給料、ボーナスも大幅カット、休日も今までと異なりいろんな待遇が変わってくると聞き、不満を持ち、ふて腐れ私は辞表を出そうと思っていました。
しかし、御教祖様より「物事は焦って判断してはいけない、周りをよく見てもう少し良く考えてみなさい。悪いようには決してならないから。」とお言葉を頂きました。
私はその御言葉通り会社からの説明があるまで待っていました。
説明会当日、会社からの説明は「待遇等は何も変わらず、社名が変更になるだけ、後は新しい会社が単独で採算を取れるようになったら検討します。」との事でした。
今まで出向された方から聞いていた話とは全く違い、これは奇跡としか言いようがない!と驚きが止まりませんでした。
これまで何の障害もなく、自分の力で上手く物事が進んでいると思っていましたが、ある日、父がお参りの祭に「子供たちにとって良い道が開けますように」とお願いしているのを聞き自分の力ではなく、神佛混合神様、御教祖様より目に見えない奇跡を数え切れない程頂き、救って頂いているのだと思いました。
この事をきっかけに、十年間御縁を頂きながらも一度も行をした事のなかった私は、自分を変えたい、もっともっと法ノ宮の事を知りたい、教えを頂きたいという気持ちが強くなり行に入ろうと言う気持ちが強くなり行に入ろうと思うようになりました。
数回行を終えた頃、善行山御住職、安田先生より「ともちゃん、講習会に参加してみない?」と声を掛けて頂きました。
講習会は「神佛混合神様、の御心を知り良い運命を頂く」という内容でした。
振り返ってみますと、心の底から自分と向き合い見つめ直す事もなく、家に帰ったら両親と祖母がいて当たり前、炊事洗濯なんでもしてもらって当たり前で自分のわがまま勝手を言いたい放題、全てが自分中心の考えでした。
御教祖様より罪を償う為には、世の為人の為に尽くし、奉仕をする事と教わりました。
講習会の最終日、御教祖様の大きな胸で抱擁をして頂いた時、御教祖様に「家族に優しくしなさい、自分だけが寂しい訳じゃないんだぞ。」とお言葉を頂き、心の中に溜め込んでいたものがぱぁっと吹っ切れなぜか涙が溢れ出てきて止まりませんでした。
そして、涙の後はとても爽快な気持ちになりました。
私は今、一日の中で父と一緒にお参りできることが一番の楽しみです。
家族みんな法ノ宮に御縁を頂けて本当に本当に幸せです。ありがとうございます。

2010年 11月

喜びの声

一年前の夏、私は徳宝山御住職の一言で救われました。
母が済度を受けているときに、御住職から「娘さん夫婦はうまくいってますか?」と急に尋ねられたそうです。
その話を母から聞きその時の私は家庭生活がうまくいっておらず、自分ではどうする事も出来ずにただただ我慢し悩む毎日。
心は寂しく子供は病気ばかりしていました。
母が「御住職に会って相談してみたらどう?」と私に言ってくれました。
そのような私が法ノ宮に御縁をいただいたのは2度目の事です。
1度目は父が病気になったときにお参りをさせて頂きました。
しかし、父は亡くなり法ノ宮から疎遠になり5年が経ちました。
その間に私は大変な罪を犯していたのです。
それは、父が亡くなってからも、私たち兄弟を一生懸命に育ててくれた母に感謝するどころか、自分勝手なわがままで反抗し、毎日毎日遊んで、家に帰るのが遅くなっていました。
母に怒られ、それにまた、口答えをする私でした。
それから親の反対を押し切って結婚し、子供が生まれ、母親となりましたが夫婦間の問題や、子供のこと・・・来る日も来る日も悩みは絶えず、苦しい日々でした。
ご住職とお話をし、色々な教えを聞いてるうちに自分が親への反抗心から罪を犯してしまっていることを知りました。
それから、すぐに神佛混合神様・御教祖様に行を頂き毎日、行をしながら夫婦間の問題の解決方法を事細かに教えていただき実行していきました。
少しでも分からない事があれば御住職にいつでも、どこでも何度でも電話させていただきました。
神佛混合神様・御教祖様は的確な判断をいくつもくださり言われた通りにいたしますとスムーズに事を進めることが出来ました。
ここまで的確な判断をしてくださるのは神佛混合神様・御教祖様以外おられません。
また妹の膝のケガを数日間で治すという奇跡を見せていただきました。
バスケットの試合中に膝をケガし、松葉杖をついて本山に済度を受けに行った妹が、帰りは松葉杖を持たず、歩いて帰ってきたのです。
本当に驚きました。目の前で起こっている奇跡に、疑う事の出来ない現実に、神佛混合神様・御教祖様の偉大さを感じさせていただきました。
神佛混合神様.御教祖様は全ての愛で私を包み込んでくれます。
温かいぬくもりを感じさせてくれます。
そして、神佛混合神様.御教祖様の築かれた法ノ宮はたくさんの方々の優しい笑顔そして明るく大きな笑い声で溢れています。
このような居心地の良い癒される場所が他にあるでしょうか・・・?
神佛混合神様.御教祖様は一人一人のことを真剣に考えてくださりよき道へと導いてくれます。愛のムチで叱ってくださいます。
私は法ノ宮に行くようになり神佛混合神様・御教祖様に出会って生きる喜びや生きがい、楽しいときに素直に笑える嬉しさを改めて気付かせていただきました。
神佛混合神様.御教祖様に心も体も救っていただき感謝の思いでいっぱいです。
今度は私が神の手足となり我が子を始めたくさんの方々に神佛混合神様.御教祖様の素晴らしさを伝えてゆく番だと思っております。
御先祖様・母を尊敬し、私を生み育ててくれた母に感謝します。
自分勝手な私を見捨てずに助けてくれた母に感謝します。
一生、法ノ宮から離れることなく誇りと勇気を持ち常に前進し、神佛混合神様.御教祖様の御心に添える人間となってゆきます。

2010年 9月

喜びの声

今から4年3カ月前、私達夫婦は法ノ宮に御縁を頂きました。
そのころ、親から引き継いだ建設業は、莫大な借金、また不況におされ、仕事は減り、先の見えない日々に只々不安でいっぱいでした。
食事も食べないと病気になると思い、お茶をかけ、流し込み、夜は体を≠ュの字になってしか寝る事ができなくなっていました。
私は、体は痩せ細り、笑顔もなく、顔色は悪く、しみ・しわだらけ、腰が痛くてたまらない日々を過ごしておりました。
また、夫は慢性肝炎で通院中、父は末期の肝臓癌、体が思う様に動かない為、母にあたり、両親は喧嘩の毎日でした。
平成十三年六月の勉強会に初めてお参りに参りました。
その日、夫とは別々に謁見をさせて頂きました。
御教祖様は、夫を支えなくてはならない私に、活を入れられました。
その後、済度を三回受けるように言われたものの、翌日になると、勉強会、御教祖様に圧倒されて、「怖くて行きたくない」と言った私に、夫が、「済度を三回受けるように言われたのだから、三回受けようよ」と言ってくれたので、二回目少し遅れて法ノ宮に行きました。玄関で、ばったり御教祖様と出会いました。
総本山へ帰られる時だったのです。
「お帰り」と優しく微笑んで下さったあの笑顔を、今でも忘れません。
行に入り「野村工業発展」の為の道を教えて頂きました。
又、その年の十二月に母が左乳癌と診断を受けました。
済度を受けさせて頂き、入院致しました。
手術の翌日には「痛くない」と左手を上げる姿を見た時は本当に驚きました。
翌年十月父は、苦しむ事もなく、安らかに皆に見とられ他界致しました。
神佛混合神様、御教祖様は両親も助けて下さいました。
2年生で私の胸ぐらいの身長だった娘も、今は私を超え6年生になりました。
「行に入りたい」と言い昨夜無事、お礼の行を迎える事ができました。
母も物忘れはあるものの、健康で一緒にお参りをしております。
夫は通院はしておりますが、肝臓の血液検査の結果が良く病院の先生が「考えられない」とおっしゃるくらいで、もちろんの事健康です。
私は反省の毎日を繰り返しながら、父が残した野村工業を、夫と共にもっともっと大きく発展する為、もっともっと幸せになるため、お参りをさせていただいております。
神佛混合神様、御教祖様本当に有り難うございました。

2010年 8月

喜びの声

私は、6年前に父の病気がきっかけで法ノ宮に御縁をいただきました。しかし、父が亡くなってから私達家族は法ノ宮に行かなくなりました。
そして、私は高校三年の春、バスケットの試合中、右ヒザのじん帯と半月板を損傷してしまい、歩くのも階段の昇降も困難、寝返りもうてない、松葉杖がなければ生活できない状態になりました。
自分の思うように移動したりできない日々に、悔しくて涙を流す日々でした。
そんな時母に「法ノ宮に行ってみようか?」と突然言われました。
「早く痛みから解放されて、前のように生活したい!」と思っていた私でしたが、なぜか行くことに抵抗がありました。
しかし、その夜、偶然夢に法ノ宮の先生が出てきました。そして次の日、母が偶然、その先生に会いました。その夜すぐに徳宝山に行き、済度をしていただきました。
次の日は本山に行き、御教祖様直々に済度をしていただきました。
済度が終わると「歩いてみろ」と言われました。
「さっきまで松葉杖だったのに歩けるわけがない」と思っていましたが、なんと私は歩く事ができました。
私が歩く姿を見た母は泣いていて、本山に来ていた方もとても驚いていました。私は自分の事ながら「信じられない」という気持ちでいっぱいでした。
次の日も本山に行き、なんと二回目も御教祖様に済度をしていただきました。その日はジャンプをする事ができました。
そして次の日も本山に行き、三回目の済度も御教祖様にしていただけました。帰りの車で先生に「三日も続けて御教祖様に済度していただけるなんて、君はついてるよ!」と言われました。
その後、先生方の一生懸命な済度により、つめたかった足も温かさを取り戻し、腫れもみるみるひいていきました。そして正座ができるようにまでなりました。本来なら手術やリハビリで、治すのに何ヶ月もかかるようなケガをほんの数日間で治していただきました。
本当に神佛混合神様、御教祖様のお力はすごいです。
法ノ宮に御縁をいただいて、私は本当に幸せです。 今では、母と兄と姉と甥と私でお参りをしています。神佛混合神様、御教祖様にはいつもいつも救っていただき、大難を小難、小難を無難にしていただいています。
親への反抗心から、こんなケガをしてしまったということを忘れず、一生親を大切にしていきます。
また、私は中門先生にお声をかけていただき、現在巫女の修行中です。
神に仕える者として、日頃の感謝を込めて、一生懸命巫女の仕事をさせていただきたいと思います。そして、私は一生法ノ宮、神佛混合神様、御教祖様から離れません。

2010年 6月

喜びの声

神佛混合神様、御教祖様に初めて御縁を頂いた頃の私は、劣等感の塊で何をやっても自信が無く、心は寂しく、いつも孤独感を感じていました。
子供の頃から目が悪く斜視があった私は、不登校、いじめなどもあり人と向き合って話をする事がとても苦手で、手術をしたいと思っても、周りは手術をするほどではないと私の心を理解してくれる人はいませんでした。
しかし、御教祖様は、とても温かい眼差しで「そんなに強く思っているなら手術をしなさい」と私の心をつき動かして下さり手術をする事に決めました。
手術は不思議と何の不安も恐さもなく、誰が見ても斜視だったと解らない程大成功でした。それでも目に見えない神佛混合神様の力を信じる事はとても難しく人から「ただの偶然が重なっただけよ」と言われると、心は揺れ動き確信をもてなかった私は段々とお参りからも足が遠のいていた時、母が脳内出血の意識不明で倒れたのです。ショックでした。
母が倒れた頃、父はあまり働かず銀行から借金をした上に現金収入が2年間殆どありませんでした。時々頭痛がしていた事さえ気付かず、母に甘えてばかりいた事をとても反省し、後悔しました。
母が倒れた時、借金は膨れ上がり、預金もなく入院費など払える余裕もなく、姉は関西の方にお嫁に行き、父も払えるあてもなく、祖父母は年金暮らしで経済的に頼れる人はいませんでした。
それで祖父母は収入を得る為に七〇歳を過ぎた体でイチゴを作ると言いだし、家族が一丸となって協力し合い働きました。私の生活も180度変わり、会社と家事とイチゴの手伝いと、お参りをさせて頂きながら一日中働きました。
神佛混合神様に祈りが通じたのか母の病状は奇跡的な早さで回復し、三ヶ月で退院し、病院の先生も当初は、車椅子の生活になると言われていたのですが、杖で歩いてリハビリに通院出来る様にまで回復したのでびっくりされ奇跡だと言っていました。
しかし、経済的にはまだまだ厳しかったので父も祖父とは違う場所でイチゴを作る事になり、それは、想像以上に大変でしたが、父も人間が変わった様に一生懸命で御聖水をまかせて頂きながら作ったイチゴが2年目にして2年連続で一反あたりの取れた量が、杵築市内で一番になり表彰されたのです。
素晴らしい喜びでした。
それまで私は父の事を母にばかり甘えて苦労させて憎らしいと思っていたのですが、御教祖様は「どんな親でも親は親ぞ。誇りに思いなさい。きっといい事があるぞ」と悟し、イチゴ作りで私に奇跡を見せ、父に対する憎しみを尊敬と誇りに思える様にして下さったのだと心から感謝しています。
そして御教祖様が言われていた三年が経とうとする頃には、銀行から借りていた大きな借金の返済もめどがつき、もう家からも会社からも法ノ宮からも離れて自由になりたいという間違った思いから一人暮しを始め、会社も辞め、法ノ宮からも離れてしまったのです。
しかし自由になるどころか不安と孤独にとらわれ、本当の自由は神佛混合神様、御教祖様の教えの中に生きる自分にあるのだと気付かされ、家族の大切さ、人は守られ、生かされているのだという事をしみじみと感じました。
また職業訓練校で主人と出逢い、出産でも陣痛から2時間半程での安産など語りきれない程の奇跡を頂きました。
不器用な私ですが、法ノ宮に誇りに思い人のお役に立てる人になる様努力します。

2009年 11月

喜びの声

何事も継続できない私でした。法ノ宮にご縁を頂き御教えを学び月日は十年たちました。奇跡です。
学生だった私が社会に出て結婚・出産し、五人の子供の母親とさせて頂きました。そこに至るには常に神佛混合神様・御教祖法主様の存在が有りました。小さな事、大きな事、様々な奇跡の結果今の生活を成り立たせて頂いているのです。
平凡な主婦の毎日は家事に育児に同じ事の繰り返しです。楽しく満たされた日はごくわずかです。現在出産を目前にひかえ長女五才長男三才次男三男一才半の双子今一番手のかかる子供達をかかえての家事と育児は本当につらくて苦しいものです年を明けずに出産を繰り返した私の体には下肢部全体に静脈瘤(りゅう)がひどく出ていて立っているのもやっとで入院してもおかしくない私が入院もせず、育児ノイローゼにもならず神佛混合神様のお力において、家事育児一切を普通の人とかわらぬようにこなせて頂いています。
子供の躾(しつけ)にはつい感情で叱り親の我が出、子供を押さえつける事が多く常に自責の念にかられます。神佛混合神様、御教祖法主様の御教えを頂いていながらそのように実行できない自分との葛藤があります。しかし御教えを頂いていなかったら、子供にどのような教育、躾をしていたのか又、家庭や世間においてもどのように立ち居振舞をしていたのかと想像する事さえ恐ろしくてなりません。やはり御教えを頂くからこそ正していく事が出来るのだと思います。できていない母の私のもとで子供達は今まで大病もせず小児科通いもせず健やかに心豊かに成長させて頂いております。神佛混合神様をもっと知りたい神佛混合神様の御心が実行できる人間になりたい。法ノ宮の行事全てに参加する事が困難な今、月に一度の法要が唯一の御教祖様法主様との交流の場、私の本当に大切で一番幸せな時間です。又御説法のテープも私の日常のエネルギーです。生きてきた中には本当に苦しく逃げ出したい時もありました。しかしそれも神佛混合神様の幸せの中の苦労であって御教えと共にひねくれず逃げず前向きに立ち向かえば乗り越えられない事などありえませんでした。そしてその先にはいつも幸せの花を咲かせてくださいました。人として生まれ神佛混合神様、御教祖法主様に巡り会えたこの奇跡に感謝致します。

P.S
私事ですが、つい先日見知らぬ方から五人目出産の私を一人目出産と思って頂ける程、心を楽にさせて頂けるだけでなく美しく輝ける女性(ひと)とさせて頂ける神佛混合神様のお力に嬉しく感謝致しました。

2009年 9月

喜びの声

僕は、三歳の頃から父と法ノ宮に行っていました。
父の仕事の関係でお参りの時以外にも御家族様に会っていました。
御家族様は会う度にいつも僕を笑顔で「よく来たね」と迎えてくれ、帰る時には、「また来るんだよ」と見送ってくれました。僕は、そんな暖かい御家族様が大好きで、また行きたい、また行きたいと帰る時にいつも思っていました。
僕は、お参りは全くしてなかったけど父がお参りをしている間、当時学生だった初代泰教主様に遊んでもらっていました。ただ父に着いて行っているだけで、遊んでもらうのが楽しくて法ノ宮に行っていたけど、その頃から法主様は凄いお方だと理解していました。
それから中学生になった僕は、部活動などで 法ノ宮には行かなくなりましたが中学三年生の夏に僕が部活動中に左足の膝を痛めたことがきっかけで、また法ノ宮にご縁を頂きました。僕の左足は全く動かなくなって、松葉杖がないと歩けない状態でした。病院で診察してもらった結果、手術しないと治らない、そして手術しても一生治らないと言われました。夏休みに手術する事が決まって、父から法ノ宮に行こうと言われました。僕は松葉杖を使って父と一緒に法ノ宮に行きました。
法主様は力強い目で僕を見て「治すぞ」と僕の膝に手を当てました。暖かい空気に包まれて僕は身も心も法主様に任せました。「く」の字になった状態から全く動かなくなっていた足が、法主様が言われた通りに動いたのです。痛みも全く無く、歩けるし、走れる。その場でジャンプまでしました。周りで見ていた人達も驚いた顔をしていました。次の日病院へ行ったのですが、足はもう治っているので診察しても何の異状もなく、病院の先生も凄く驚いていました。
それから高校生になって足を治して頂いた事を忘れていたわけではないのですがバイト や遊びに夢中になり法ノ宮は父任せでたまについて行くくらいでした。
それから僕も十八才になって就職活動に困った僕は又、法主様に助けてもらいました。法主様から直接、面接の御指導を頂き、面接で書かないといけない作文を法主様と光玉尊様と一緒に考えて頂きました。この時も、不思議なくらい全ての事が上手くいき、面接では、物凄く作文を含めて、お誉めの言葉を頂きました。
この就職活動の事で法ノ宮に自分から行く様になりました。

今では、この様な貴重な体験を振り返るとありがたくて涙が出ます。治して頂いた足は当時より丈夫になり今では格闘技までさせて頂いてます。
法ノ宮の事は僕の友人にも話します。僕が真剣な顔して話したら、 みんな興味を持って法ノ宮の話を聞いてくれます。そして信じてくれます。
今現在、法ノ宮に来ている友人もいます。泣いて僕に全てを話し頼って来てくれた友人もいました。
二十二年間、今まで人間関係に困った事はありません。人を憎んだり、恨んだりする事も今までありませんでした。
僕は毎日家でもお参りする様になりまし た。寂しさや不安がなくなりました。
法ノ宮無しの生活なんて考えられません。本当に心から感謝しております。
今、僕は幼い頃よりもっと行きたいという気持ちで法ノ宮に行っています。
そしてこれからもずっと法ノ宮と人生を共にします。

2009年 7月

喜びの声

私は小学六年生の頃から学校へ行けなくなりました。
中学校へは始業式の日に行っただけです。一日も通うことなく、自分の写真の載っていない卒業アルバムを受け取りました。
小学校の時の同級生の女の子達が、セーラー服姿で先生から頼まれたプリントを持って私の家を訪ねてきました。
彼女達の口からは私の知らない子の名前が、次から次から出てきます。
会う度、会う度に成長していく彼女達が輝いて見え、遠い存在になっていくのを感じました。
彼女達が私の家に足を運ばなくなるのに時間はかかりませんでした。
私は知らないうちに社会から孤立してしまいました。母は私を変えようと、色んな人を私に会わせましたが、私はかたくなに心を閉ざし続けました。
ただ、命があるから生きているだけでした。
祖父はそんな私に「人間のクズ」だと言いました。
涙がとめどなくあふれ出ました。その通りだと思いました。
自分の部屋に戻って、布団をかぶって泣きました。
「生まれてこなければ良かった・・・何のために生まれてきたんだろう」
絶えられない寂しさと不安で、私は平常心を失ってゆきました。
 家のポストに振袖の広告のはがきに混ざって、成人式の案内のはがきが届きました。
私はもう二十歳になっていたのです。
私は小学生のまま置き去りにされたかのようで、現実を受け入れる事ができませんでした。
月日が経つにつれ、私は時を失うだけでなく、人間らしさをも失ってゆきました。
 ある夜、私の体が、内側から異常に冷たくなっていくのに気づきました。
私は本当に死ぬのだと思いました。
その時、むしょうに母に会いたくなったのです。
ベットで休んでいる母に、「助けて、死ぬかもしれない」と生きようとしているもう一人の私が言いました。
母は気が動転しながらも、今まで私のために会った人達の名刺をたくさん出してきて私に見せました。
数ある名刺の中で私が手を伸ばしたのは、法ノ宮の法徳先生の名刺でした。
翌日、私は母に連れられて初めて法ノ宮に来ました。法徳先生のお話を聞き、次の日からは行に入り、法ノ宮に通う日々が始まりました。初めての行の満願の日は法要でした。
この時初めて法主様とお会いし、謁見もさせていただいたのです。私が笑みの一つも見せなかったのに対し、 法主様は終始笑い続けていらっしゃいました。法主様は私に意外なお言葉をくださいました。
「わがままをしろ」と言われたのです。そして、「遠慮せずに出されたお茶を飲んだり、 お菓子を食べたりして帰りなさい」と言ってくださいました。法主様は私に無理な事は一言も言われませんでした。
 法ノ宮に行きだして一ヶ月が過ぎた頃、法主様のお誕生日という事で本山へ行きました。
思いがけず、バースデーケーキを運ぶ役が私にまわって来ました。法主様にケーキを差し出すと、法主様は私の手を両手で包み込んで「ありがとう」と、握手をしてくださいました。
ろうそくの暖かな明かりの中で、戸惑いながらも、私はその時、温もりを感じました。
それからというもの、私は人間らしさを取り戻していく気がしました。三ヶ月を過ぎた頃には働けるようになっていました。
半年が経つと講習会に参加できるまでになり、今年に入ってからは車の免許を取ることが出来たのです。思いもしなかった世界が、 次々に現れてきます。法ノ宮で過ごしたこの一年は、私が生きてきた中で一番豊かな年になりました。
神佛混合神様、御教祖様、私を見捨てないでここまで育ててくださってありがとうございます。